私は改憲派だ。日本人として日本人が作る強いそして果てなく平和な日本を示すが為の日本国憲法は 今のままでは絶対にいけないと思っている。そこで護憲派とは何かを考えるに、「護憲派の議論に奇妙な屈折があることに気がつかざるをえない」と言う文を読んでみた。護憲派をなるべく理解しないと改憲議論にならないからだ。
神戸女学院大学名誉教授の内田樹(たつる)氏の護憲論はその典型例といえるらしい。多くの護憲派の皆様が、彼の論を支持している。その内田氏が日本国憲法について論じたのが
「憲法がこのままで何か問題でも?」
(『9条どうでしょう』毎日新聞社)
である。もうこの時点でふざけてるが、HTVさんいいのこれ??(笑)
リベラル派の代表的論者である内田樹氏は9条をどのように捉えているのか非常によくわかる。多分護憲派の多くの論客達もこのロジックなのだろうと想像がつく。しかし、実は彼自身も9条は「狂気」だと認めているのだ。改憲派からすれば、実におかしな理屈だが、、、
●憲法9条と自衛隊の「内政的矛盾」は、日本がアメリカの「従属国」であるという事実のトラウマ的ストレスを最小化するために私たちが選んだ狂気のかたちである。
そして、その解離症状から引き出しうる限りの「疾病利得」を私たちは確保してきた。それは世界史上でも例外的と言えるほどの平和と繁栄をわが国にもたらした。だから、私はこの病態を選んだ先人の賢明さを多としたいと思う。
いまの憲法が「狂気のかたち」と認めながらも、それで十分恩恵を得られたのだから、「日本を病気にしてくれた先人に感謝をする」というのです!
東谷暁氏はこの内田氏の言葉をこう要約している。
●要するに、日本の今の憲法九条にみられる矛盾は、ひとつの病状を示しているが、それは、病気であるがゆえに利益を得られる「疾病利得」があるからなので、この病気を治そうとすれば、せっかくの利益が失われてしまうから改憲などしないほうがいいというわけ、である。
これでは、病気のふりをして補助金を得られるならそのほうがいいじゃないかと言ってるのと同じだろう。日本人は、本気でそう思うのだろうか。心が健常ならリスクを負ってでも、心身健常者として自分の足で立ち、目の前の困難に向かって行くのが「日本人」のあるべき姿だと思う。本気で、病気のふりをしている自分に嘘をつき利益を得る方を選ぶのだろうか。このままで死ぬ間際に人生を振り返り「幸せな人生だった」と思えるのだろうか。
無論、複雑な社会背景や政治的駆け引きは理解しているつもりだが、あからさまに「だって平和だもん」で、済む時代なのだろうかと思う。石原慎太郎氏の「台風来ないと紙に書いとけば台風が来ないと信じるのと同じじゃぁねぇか」なのである。
このような理屈が平気でまかり通るのが左派の学界であり、戦後の言論界なのだろう。
なぜ戦後の日本はこんなに情けない状態になってしまったのだろう。
それは大東亜戦争敗戦後GHQが施したあらゆる「日本の力という力を根こそぎ落としてしまえ」政策が今でも脈々と影響を与えている所為なのだろうと、新年、漠然と思うのだった。