ある友人が言った。自動車事故で無くなる人が後を絶たないので、自動車は作るべきではない。たまにしか起きないが電車の事故は、しかし多くの人が亡くなるので電車は不要なのでは無いのか。飛行機に至っては事故ともなると悲惨を極める。飛行機など無くても良いのでは無いか。このロジックはそのまま、現在の脱原発の理論に当てはまる。いや、核という代物は人類が触れてはいけない神の領域で、未来に遺恨を残すのだからこれらのロジックは当てはまらないのだろうか。
いや、かつて内燃力学が提唱されたとき数多くの事故を経験した人類は内燃機関理論に対してこれは火神の領域で、必ずや未来に厳罰たる大きな負の遺産となると言っていた過去がある。確かに、当たらずとも遠からずではないか。パワーステーションを最初に作った西欧は、未来においてその主力が化石の火から核の火に移行すると予想だにしていなかったのだろうか。いや、その暗部をひたすら肯定するからこそ全てを克服する力を付けてきたのではないか?
私たちは人類の歴史の中で、核自体を歴史学者に預けることはなく、科学的でありながら政治学的にも利用してきている。なぜなら、人類が持つ全ての事案は明と暗があり、エネルギーもしかり。しかして、その絶妙なバランスを持って暗だけを前面に出して否定のみしてきた歴史はない。何かの利益ある事象は、いや利益とは公にとっても私にとってもであるが、必ずと言って良いほど暗部を持つ。その暗部をあらゆる角度から理解し克服することが未来の問題への担保となる事を実践してきた。
エネルギー環境問題で、SDGsやECOが未来を救うという明るい話の裏にある暗部もまた、すでに巨大利益に翻弄される現実を見れば、そもそもその暗部を深く知ることで方程式の不備を解くことが出来よう。この方程式に核エネルギーを当てはめたとき現在の脱原発論の空虚さが見えて来やしないだろうか。ましてや医師歯科医師であるなら反対するのは当然のごとくの感情論的主張のみでは、そのかたくななこその主張の先に現実として何が見えているのか。実はその未来に人は集まってこないと言う過去を知っているのではないか。暗部を否定のみしている。特に前提として、核に対して歴史的に積み重ねられた「嘘」「まやかし」「問題の先送り」「金と権力」「強制」を主題反論主張する方々に問いたい。過去の歴史で、他の事象でもそうではなかったことが人類史上一度でもあるのだろうか。解決不能の問題の背景には、その暗部の徹底した批判だけが一人歩きしているからなのではないだろうか。
スタンフォード型カンファレンスをしよう。それではダメダメなんだ、そんなことはやめなさい、、ではなく、こうすればもっと良いのではないか?へ。切り口と景色が変わるはずだ。
脱原発を理論的に時間的に現実の物とするために必要な方法とは?無知を罵りそれは成功するのか?民衆が偏向情報で大衆となる事を望むのか?あくまでも臨戦で徹底した抗議を行うのか?遺憾の連続か?私が何度も促すのは、明暗のバランスの承知である。
他のエネルギー問題では解決出来ない一面もまた脱原発論には隠れている。エネルギー安全保障問題だ。自国で必要なエネルギーは自国のみで生産可能か否かで状況は一変する。自国の平和を維持するために必要なエネルギーとは?維持するとは?
今まさに勃発したウクライナ戦争は、ブダペスト覚え書を反故にされた安全保障の「力」の問題だけではなく、EUにとってのかなり切羽詰まったエネルギー安全保障問題にも繋がる。総帥の気が触れているか否かは関係ない。最後の砦は核であろうと誰もが予想している安全保障なのだ。そしてそこをピンポイントで狙われたときの悲惨さが、人類史上最も残忍な結果になる事も暗部として理解しているからに他ならない。それを切り札としてプーチンは「勝者はない」と言う。原発を含む核問題の暗部を先に使われてしまった。
確かなのは「核」は途方もなく危険な暗部を持っていることを理解しながら使わざるを得ない現実に目をつぶる理解を無視してはいけない事なのではないだろうか。これが脱原発への確かな道のりとなると信じる。核のない世界を現実味のあるものにすると信じる。