3月 17, 2023

S国、、、Free, but a country like North Korea.(笑)

 3泊4日で何度目かのS国。今回はもっと内側からこの国を考察することにした。歩き回った距離は5〜6キロ。同級生がここで開業しているのだが、もし私がチャンスがあってもこの国は選ばないかな。しかし、経済は圧倒的に上だろう。人々の勢いがまるで違うような気がするのだが。これからこの国で一旗揚げようとする人、もしくはリタイヤ永住し見ようかな?な人は少し参考になるかも。


以下、SGP人から直接聞いたのだが。。。国土は東西に僅か43キロほどで自転車で日帰り往復可能。南北では23キロほど。これはほぼ私の街八戸と同じ広さなのだが、この狭い中に700万人近くが住んでいる。当然土地は殆どが国有地で、狭い国土に多くの人間が住まなければならないから建物は上に伸びるしかない。外国人の不動産売買は基本的には禁止されている。国が管理している賃貸住宅(殆どないが)は本当に貧しい人向けで月2万円程。一般的なマンションは安いのでは5000万程からあるが通常は安くて1億だが高ければ3億ぐらいが一番多いらしい。車の台数も制限されているので簡単には買えない。買う場合新車だろうが中古だろうが200パーセントの税金がかかる(購買目的によって違う)。デンマークのような家屋景観税(窓からの景色が良いとプラスされる)がないだけでもマシかもしれない。初任給をもらった時点で年金徴収がない代わりに強制的に20%天引きされ(税金とは別)強制預金させられる。これは法律で決まっている。リタイヤ時に預金は何に使ってもかまわない。途中で医療費として使うことも許される。基本的に相互扶助という考えはないので、基金を元に様々なパブリックな資金運用はないと思って間違いはない。私の金は私の金、、と言う考えが根本。1960年に出来た新しい国であることは承知だろうが、そのオリジンは東インド会社関連での海峡の船の通行税と水食糧の供給、そして飲食と船員相手の娼館での莫大な富をファウンデーションにしていた。

地政学的に非常に重要な港として発達してきた歴史は良書に譲るとして、実はこの国の非常に細かい「チクリ」法に注目したい。この国にはグリーンが非常に多く、在来種のみならず船で渡ってきた全ての大陸の植物が生息している。植物あるところに通常は多くの昆虫が生息するが、代表的な「蠅」「蚊」やその親戚筋は全く見ることがない。かなりの殺虫剤をまき、衛生管理は法で徹底している。ある日、玄関をノックされて出てみると政府の職員が抜き打ちでベランダの植物やその周囲の衛生管理、、例えば植木鉢の受け皿に水がたまっているとか、、をチェックする。基準にそぐわなければ高額の罰金が待っている。何故そこに取締官が来るのかと言えば「誰かのチクリ」と言うことになる。北の将軍様の国とあまり変わりは無いような気がする。監視カメラの数も尋常ではない。街にゴミを捨てる人、喫煙所以外でタバコを吸う人、ガムを噛んでいる人、景観を悪くする人、決められた枠から少しでもはみ出そう物なら、監視カメラとチクリであっという間に摘発されるのだ。

そんな社会でも、皆活気にあふれているのは、規律ある自由があると考えているかららしい。物価も酷く高いし、ラーメン指数で言うなら一杯3000円ほどだろうか。卵は6個で1000円。スーパーで簡単なお刺身セット3500円(笑)。マグロのさくで赤身4000円、牛乳(全て輸入)1リッター1000円ほど。何せ食糧の自給率は1割ほどもないからだろうか。しかし、金融と観光にかける意気込みはドバイにも負けてはいないだろう。何もない小さな漁村からスタートした国だからこそのエネルギーはひしひしと伝わってくるのだが。。。。いやぁ、、兎に角、暑いんだもの、私はそれだけで、まあ、めげる(笑)。

どうですか、これで見聞きした全てではないですが、ちょっとは参考になりましたか?知ってる人は知ってるS国事情でした。。


3月 14, 2023

毎度の季節の催し

 この時期は、ケルンのIDSかAO(米国のインプラント学会)の時期で、たいがいかぶるので、つわのもドクターは、例えばタラちゃん(人伝え)とか、ケルンの後にAOに来たりする。私はそんな大それた事は出来ないので、毎年どちらかに絞るんだけれど、この3年コロ助のおかげでどうにも居所が悪かった。

と言うことで、今年はケルンはドイツがウクライナに戦車を供給するので、きな臭いが為にフェニックスのAOにしようと思ったけれど、バイデン政権ではいつやばいことが起こらないと限らないので、憧れのフェニックスもパスした。

じゃあ、せっかく去年から休みを取っていたんで何処に行こうかと考えるのだけれど、なんか正直、、、、勉強するのに海外行くのが段々面倒になってきている。開業して34年。国内の学会はもとより海外の学会に積極的に参加して見聞を広めてきた。海外学会は年間3〜4回。恵まれた環境なので、感謝しかないが。。そこで見聞きした情報はリアルタイムで地元勉強会に還元した。これは凄いことなんだと気がつく先生は気がつく。だって、商業誌に紹介されるのは半年くらい後だから。で、だから私が何か得するかと言えば何も無いものだから、商業誌で活躍する先生方は「もったいない」というのですが。。。。用は早い情報を集めて紹介すれば金になるという話。ごめんなさい。元々お金を持っているグループではないので興味ないです(笑)。

海外の学会はいろんな先生方と知り合いになるから楽しいのですが、某先生方は著名な先生と知り合いになる事が目的だったりしますね。いやいや、そうじゃないですね。世界の日常歯科臨床を仕入れるのが目的ではないですかね。偉い先生方のチャンピオン症例を見ても、それが毎日の臨床に降りてくることはとてもまれです。日本独自のルールもありますしね。だから、偉い先生方のそこから外れている臨床家にとても興味があるんです。

若い先生方に提案です。日銭を切ってでも世界の状況に触れましょう。特に懇親会は重要です(笑)。酔うと本音が出ますから、ここ最重要ですよ。。



3月 01, 2023

多分FB版シャドウバンを食らっているワシの投稿(笑)

 ここ1年ぐらいの自分の投稿やブログ内容への閲覧者数を見ると、FBが勝手に選別している節が多々見受けられる。立民や共産党の考察だとか、大陸や半島の考察(笑)など、あるいは現与党の大陸寄り発言に対しての考察だとか、普段より極端に少ないアクションで、他の人が見ることの出来る友達タイムラインにはまず出てこない。一方、どうでも良いどっかの店の食い物だとか、皆で楽しくミーティングや懇親会などとても沢山のマークがつく。それだけ多くの友達の目に触れている(笑)。多分このブログの書き込み内容もFBで紹介してもFB友達には殆ど紹介されないだろう。

ということで、全くそんなことはなかった頃の書き込みを読み返して思ったのだが、大陸や半島や反日に関する国内の動きや医療問題も含めて、この30年殆ど何も変わっていないことに気がつく。左翼は反対運動が一定の資金源になっているから絶対に引かないし、そこに気を遣ってある程度の票を獲得する与党の構図も変わっていない。大きく変わった政治的背景は、安倍氏の亡くなった後の与党自民党の迷走と為体だろうか。媚中外交も酷い状況になっている。我が国のために期待する高市氏や小野田氏や青山氏の勢いも、何か目に見えない正体にやはり気を遣っているようだが、この構図を打破しようとする政治家は政治家生命を絶たれるのだろう。

昔、大上段でかまえてメンを繰り出す政治家に期待したが、ドンドン消えて行ってしまう。マスコミも大衆も水面下での動きは嫌いなはずなのに、特に新聞や地上波テレビなど、物を売っている以上売れてなんぼ。だから大衆の動きに敏感になり、売れるか売れないかで言えばゴシップの方が大衆受けするから、現状にネガティブな方を選んでいるだけだろう。置き去りにされている庶民なのだ。

なので、政治感覚で庶民を味方にするべく大衆を生み出すことが売れる。だから、麻生氏などはっきり物言う政治家がネットアンケートでは辞めてほしい政治家1位になったりする。「アベガー」一族の方々も同じロジックだったと思う。政治生命をかけて一言言うと、関係のないゴシップで揚げ足をとられ事実とは異なる発言の切り取り作業で葬られることに抵抗する気概ある政治家が消えてきた。

私自身も60も半ばにさしかかり、あと何年何十年生きていくのだろうかという昔では到底考えていなかった事を考えるに、今更どうにも出来ないのなら「まあ、良いか、めんどくさい」となって、他を批判する事などおこがましくもなる。しかし、まだ余力があるのなら、できる限りのことをするべきなのかなとも思うが。大ベストセラー「安倍晋三回顧録」で、もう一度反日サヨクを中心とした我が国に巣くっている何者かを考察しようかと思う。それが理解出来れば、学校の勉強はすこぶる良いが多分社会的にバカだと思われる官僚の思うがままになっている歯科医療制度も、何とか軌道修正の参考にでもなるような考察も出来るのだろうか。


2月 17, 2023

批判を一切許さない日本共産党の異様な体質を踏襲する保団連という組織

 デイリー新潮のこの記事でもわかるように、日本共産党とは酷く民主的組織からかけ離れた政党のようだ。

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/02141702/?all=1

さて、唐突だが、この共産党的発想に固執する保団連(全国保険医団体連合会)という組織がある。総会を経験すればわかるが、サヨクアジビラのような資料が全員に配られる。かつてはその資料の殆どが赤旗という異常さだった。近年、この資料は一政党の機関紙ではないか?それを会場で切り貼りして配るというのはおかしくないか?という質問が出て以来、珍しい事だが赤旗の資料は影を潜めた。共産党との関わりをごまかしたいのだろう。その代わり、なるほど朝日新聞や毎日新聞のようなパブリックペーパーでもかなり左傾的な新聞がドンドン登場している。(まあ、つい先日、共産党は両新聞に喧嘩を売っていたが(笑)サヨク新聞から批判される左翼政党(笑))

保団連総会決議案や各協会の文書及び発言通告には、必ずと言って良いほど「9条を守る」とか「核燃反対」とか「辺野古問題」とか、およそ医療団体とはかけ離れた思想主張がまかり通る。こう言う思想は多様性を重視する現代では自由にあってしかるべきだけれど、私はその手の活動家のごとく決議に賛成するわけにはいかない。同意できないからだ。本来ならそういう代議員がそれなりの数いてもおかしくはないはず。しかし、現実には、反対が1票とか保留が3票とか。全体数は100を超えるというのにだ。今日の思想信条の多様性を考えれば異常な世界と言わざるを得ない。

これこそが権威主義の最たる物で、共産党のごとく保団連会長は非常に長い間その座についている。私は執行部に加わることはないが、密かに情報を集めると、理事会において長老のような古株が一切民主的批判を受け付けず、長い間左翼活動から脱却できないのだという。左翼老人の老害という言葉がネット上にあふれるが、こういう人達は見たこともないのだろう。医療問題一つをまじめに取り上げても、出来もしない妄想的要求をひたすら繰り返し、あたかも国会での共産党の言い分とうり二つ。既にほぼ消滅している社民党の言い分とうり二つ。こんな事を延々と何十年も繰り返している愚かさに気がついていない。

実現可能な医療問題解決を本気で考えているのなら、人の所為ばかりにするのではなく、どうすればよりよい医療を提供できるのかと言うベクトルを持った意見が必要なのだが、ひたすら批判に終始し聞いていてもうんざりするほど自己矛盾に満ちている。アレはダメこれはダメばかりのまるで子供の駄々のようなサヨク思想ではないか。スタンフォード型ミーティングでは「NO」と言わない会議こそが本当の会議だと教わった。「YES AND〜」と言う発想は保団連には望めそうもなく共産党のように消滅を待つのか、それとも時代と供に希望に変わるのか、もうあと何年も私は仕事をするわけではないので傍観でもしていよう。(笑)

ちなみにこのままでは、これからの若い医師歯科医師は当然加入するわけはないと思うが、如何か。

2月 14, 2023

東京の移りゆく景色と地方の歯科医師(笑)

 日曜、東京だったが、久し振りに予定がぽっかりと空いたので、東京散歩。


FBにも書きましたが、日比谷公園からのいつものいやな感じの厚労省を仰ぎ、からの、愛宕神社、芝大神宮、増上寺。宝物展を見学し、借りてるらしい仏舎利の前で「南無釈迦ムーニーブ〜ツ」と3回唱え、家康公はいないが徳川将軍家のお墓をお参りし、もみじ公園でもみじ滝を見物。そして、目の前の東京タワー様に20年ぶりくらいに上ったわけです。そこから見る展望景色は実に丁度良い。スカイツリーは高すぎるのと、見える景色が小さすぎるのと、足立江戸川墨田の地理がいまいちピンとこない(笑)のとで、東京タワーの方が実に良い。

ぐるりと一周して思ったのだが、麻布台の開発は本当に何か残念な感じ。都内一等地に残る昭和の匂いがとても好きだった。その昔、オークラによく泊まっていた時分、ちょっと空いた時間はここいら辺のお散歩で、スエーデン大使館を左手に見ながらまっすぐ進むと麻布台下に続く左に下りる坂が有、その途中に昭和な洋館の素敵な花屋があった。そこをゆるゆると下り過ぎるとまさに板壁の昭和家屋が右手にならんで見え、完全にタイムスリップできた。とても良い思い出だったのだが。後年、初台青木先生にこのあたりの解説をもっと詳しく聞く機会があり、ワクワクして聞いた物だ。


東京タワーの醍醐味は降りるエレベーターが3階で止まり、やはり昭和なごちゃごちゃとした何かわからない怪しい店が所狭しと並んでいたはずだったが、もう、全く変わってしまって浦島太郎状態。一角に攻殻機動隊グッズが売っていて、そこにロジコマが。。攻殻機動隊好きなんだよなぁ(笑)。


八戸に帰り、極寒(笑)。


無歯顎さんの下顎を切り開き、平らにして4本インプラント埋入。例の奴?(笑)ウチじゃぁごく普通の風景かもしれないけれど、都会ではそれを「どんなもんだい!」と威張る先生多し(笑)。その後、呼ばれてとぼとぼ歩きの往診。寒い。これもまた何でも出来る地方の開業医の極意かもしれない。明日の夜のHERZ会はノーベルの新しいDEXISのIOSの話。何でも吸収しよう。買わないけど。

2月 08, 2023

昔は一生懸命だった、今は??

 最近、おかしな読み物を読むよりはなんか楽しいと思い、かつての自分のブログを読んでみたりする。これってナルシズムなのかしら(笑)いい年なんだけど。自前サーバートラブルで消えてしまった過去のブログも沢山あるけれど、生き残った奴が面白い。いろんな事を書いている。それも結構積極的に。もちろんFB等なかった時代、自分の思いや意見はブログに吐き出していた。誰が読むともわからずに、でもきっとわかってくれる人もいるはずだと妄想するのも楽しかった。

2006年の2月のブログを見たら、これからポルトガルに行くと書いてあった。クリニカマロのセミナー。この頃次男はすでに12歳で2005年からスイスにいたし、海外に行くことに何の抵抗もなかったし若かったのでエコノミークラスでいかに安く渡欧するかとか頑張っていた。ポルトガル行きは初めてのプレエコで楽しみだった。八戸の図体のでっかい佐々木先生とBAことブリティッシュエアーのチケットを取り東京駅前の藤田ホテルに前泊した。夕食後銀座のバーに繰り出してなんかかっこいい気分になって結構、いや、しこたま飲んだ。佐々木先生に「明日起きれるかなぁ、こんなに遅くまで飲んで」「だいじょうぶっすよ、飛行機で寝ればいいんだから、明日ちゃんとおれ起こしますから、任しといてください!」

翌日、かすかに開けていたホテルのカーテンの日差しに目が覚めた。ん?と思い時計を見た。成田発10時40分のロンドン行きだが、、、、現在の時刻9時。。。。。。

「お〜〜〜い、ささきぃ、おきろぉ〜〜〜」「貴様起こすと言ってたじゃないか!」

「やばいやばい!」

「BAのデスクに電話しろ絶対行くからって」

「マジ留守電みたいにつながらないっすよ」

「まず、東京駅に走って成田エクスプレスに飛び乗るぞ」

「後7分しかないっす」「まじかぁ〜〜〜〜」

何とか飛び乗った電車で、「な、佐々木、もしヒコーキ乗れなかったら東京で1週間雲隠れするぞ」「そうっすね」「何処に泊まろうか」「おれ知り合いが池袋いるんでそこで良いじゃないですか?ホテル代結構かかるし」「何する?1週間」「困ったっすねぇ」

こんな馬鹿話をしながら、成田でも重いスーツケースを持ってダッシュ。BAカウンターはもう閉まっていたのですが、係のBAおねえさんが偶然いたのでギリギリセーフだったのでした。

なんて、一生懸命(笑)。ポルトガルまでキチンと乗り継ぎ、BAのこの世の物とは思えないクソまずいサンドイッチを食いながら、「ちゃんとつきましたねぇ」とほっとしたのでした。

クリニカマロセミナー2回生の珍道中は始まったばかりでした。今じゃ考えられない旅です。オイラも偉くなったもんで、泣きそうなくらいのエコノミー修行のおかげで、ビジネスやファーストが当たり前の各エアラインのステータス確保。考えてみれば、うちにあるBCFCのアメニティポーチは50個はくだらない。と言うくらい、海外に勉強しに(笑)行ってたんだなと、しみじみ一生懸命(笑)。もう無理だな。。。。十分堪能しましたわ。な、わけがない(笑)

1月 09, 2023

救世主のような歯科医師?

 歯科医院を経営している以上、スタッフの未来や自分の未来、家族の未来を考えた上で、どういうスキルと知識を獲得し。どう患者に提供すればどれ程の収入があるのか、結果患者はどのような利益を得ることが出来るのか、その患者の利益を継続するためにはどうすれば良いのか等など、そんなことを大学ではこれっぽっちも教えないし、法的スタンスとして歯科医師法ではそういう歯科医師と言う立場は否定される。おかしな物だ。

唐突に何でこんな話ななったかというと、ある小説の話だ。作家は歯科医師像としてどんなイメージを持ちどういう書き方をするのかで、今現在の歯科の状況がわかる。もちろん「ウチは最高ですから」という所から「別に気にしたことないよ」という所まで、歯科医院自体千差万別であることを考えても、実に面白い。無論、作家が抱いているイメージは経験から来る物だから、果てしなくハズレを引いていたら(歯科医師とてただの人)イメージは最悪だろう。主人公は「野原」さんという。

「痛みに襲われたのが、緊急事態宣言の発出されたその日のこと。ステイホームどころでない激痛に、慌てて近場の歯医者捜すも、ある歯科医院は診療時間を短縮中で、三週間先まで予約が埋まり、ある医院はスタッフ不足のため新規患者を受け付けておらず、ある歯科医院は56日まで休業中とことごとく空振りに終わった」

これは良くある話だが、、そこでこの患者は徒歩圏内のとある歯科医院を選択した。今時とは言えない歯科医院で、WEBサイトとは無縁、だからネットの口コミとは無縁、予約無しいつでもOK、お好きなときにいらしてくださいと。これはこれで逆に不安になる。ここは人気のない歯科医院ではないのか?ということは、技術のない歯科医院、あるいは気性が荒い先生、いやいや酷く冷たい先生か?いや、うっかり八兵衛のような?うんうん、死ぬほど不器用?あるいは商売色強くてやたらとインプラントを勧める?、、ネガティブ要素を探し始めたらきりがない事になる。
結果、この医院の先生の診断は実に面白かった。野原さんはコミュニケーションを十分にとってもらい、痛みはそれだけで激減。そのやり取り。

「野原さんの奥歯は何の問題は見つかりませんでした。歯茎も至って健康です。物理的には痛む理由はありません」と説明。でも「痛いんです」「わかります。その痛みに嘘はないでしょう。僕はそれを代替ペインと呼んでいます」。「加原さんの中で、実際に痛んでいるのは、歯でなく別の部分です。歯はその身代わりとして痛みを引き受けているのにすぎません」「別の部分?」「端的に申しあげればです。特殊な例でなく、世の中には、心因的な胃痛、頭痛があります。加原さんの場合、それが歯に出ただけのことです」。では、「どうすれば治るのですか「真の痛みの正体を見極め、直視することです」と言われながらもやり取りが続いた。

この先生、話しかしてないから診察代はいらないという。むしろ患者が経営を心配してくれているよう。患者と歯科医師をつなぐのは、デジタルなものではなく、極めてアナログな「気持ち」だけという凄さよ。だから、歯科医師と患者の関係はビジネスライクもけっこうだが、お互い気が休まる暇がないだろう。こう言う歯科医師が今では希少になってきているかもしれない。診断ではない、何かがある。間違ってコンサルでも入ろう物なら、てこ入れさせるだろうなと心配する。
当院も昔からあら探しストーカーのような悪意の患者の書き込みや、患者の自分勝手な解釈で一方的に非難する電話など何度も経験した。私のコミュ不足と言えばそれまでだろうが、今更ながらこういう穏やかな海に船を出せない状況がなんとも悔しい。
世の中、比較的盛業歯科医院でも、2億稼げば2億5千万必要になり、3億稼げば3億5千万必要になる等という良くある話は、実は自分で自分の首を絞めながらかつて経験していた穏やかな日々を、未来に向かって再実現しようとしている非常に不合理な日常なのだろうな。メキシコの漁師の有名な話じゃないか。
だから、こう言う歯科医師、実にうらやましく思ったりしている。



1月 01, 2023

新年開けましておめでとうございます

 ウサギさんで始まりました、新年、開けましておめでとうございます。昨年同様、今年もよろしくお願いいたします。酔ってます、正月ですから(笑)。

さて、本年の目標を掲げておかないと、何かのんべんだらりと1年が過ぎそうで怖いので一応書いときます。

まず、生き方として理念のない政治を批判します。与党だろうが野党だろうが理念のかけらも感じられない政治に断固反対しますが、批判だけで終わるバカはしたくありません。どうすればもっと良いのかを常に考える1年にしたいですね。

労働のない富は本当の富ではないと思っています。今年は更なる富は必要になりました。4億稼ぐと5億必要になる意味がしみじみ身にしみています。背景にはやや労働のない富を期待したしっぺ返しがあったのだと反省することしきりです。働くから富が来るのです。

良心のない快楽はいけません。趣味も学問も何かすることに付随する快楽は良心の元にあるべきです。あ、気がついた人は気がつきましたか?ガンジーですね(笑)。あと、人格なき学識だとか、道徳なき商業だとか、人間性なき科学だとか、そして献身なき信仰、もろもろ、ガンジーの残した素晴らしい言葉を実践していきましょう。

でも、多くの皆さんが勘違いしている人がいます。彼の平和の根底にある無抵抗主義とは、戦うことを否定しているのではなく徹底した武力を元にした思想であることを勘違いしてはいけません。無抵抗こそ強烈な武力を担保にしてなしえる死ぬ覚悟であることを彼はキチンと説いています。ナイスです。社民党の福島氏が「平和のために平和ぼけを増やそう」と正月のツイット。死ぬほどバカなんだなと思います。

患者さんのために、「老舗はいつも新しい」をもっと実践していきたいと思っています。最新の理論とスキルを全ての局面において提供できるようにしていくのです。ソフトもハードもそうなのですが、しかし忘れてはいけないのは目の前の現症に全ての局面で寄り添う力でしょう。アポがないから無理ですとは言いますまい(笑)。。

こんな、当院ですが、昨年より150%上昇しないと再来年が成り立たないので、死ぬほど頑張る所存です。スタッフのため、多くの患者のため、関わっているバックヤードの皆さんのため、くまさか歯科は今年も頑張るのです。どうぞよろしくお願いいたします。




12月 24, 2022

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静

 つい最近、私はかねてよりの尊い友人を失った。彼とは思想信念心情がやや異なっていたため、彼の琴線に触れる「核」という問題で衝突した。特に医療関係者ならこの問題は命に関わる重大な問題だと言うことで彼はエキサイトした。私はそうは思っていないので反論した。命に関わる問題ではなく、どう死ぬのかという問題なのではないかと提議したつもりだが受け入れてはもらえなかった。彼というわけではないが、特に左系洗脳されている私の周囲の「核」の議論は議論にならないのが特徴だ。

4万年程前、人類の亜種で高度な技術を持っていたネアンデルタール人はホモサピエンスによって駆逐された。ホモサピエンスは生き残りの最終決断として「戦闘」を選択する。しかしネアンデルタール人は穏やかな平和主義であったため地球上から消えてしまった経緯がある。ホモサピエンスの進化と発展は戦いの歴史でもある。戦闘のない歴史は世界の何処を探しても見つからない。そんなホモサピエンスは結果としてヒエラルキーの頂点に立っている。これは悪なのではなくネアンデルタール人が滅亡したときにバトンを渡されたサンカーラをDNAに持つ宿命であり、だからこそアニッチャという考えが世を救い「我」が解脱すると考えられたのではないか。最終兵器としての「核」は解脱前のカルマであり誰もなし得てはいない。地球が滅亡するほどの核兵器が想像を絶する平和を維持すると信じているからこそ、ホモサピエンスはその思考を停止させない。仮に石と斧の世界大戦が遠い未来に起きたとしてもまた同じ事がはるか未来に繰り返される必然を理解して、医療人なら現代の病としての現症に望むべきなのではないだろうか。「核」が問題なのではない。それを使用するホモサピエンスが悪でもない。最重要なのは「システム」なのだ。

では、核兵器を考案した天才物理学者の責任はと言う問いが、彼の伝記として正義の核ロジックの中に清書として出てくる。猛烈な反省が様々な書物美しく表現されているのは、いいとこ取りの伝記のパターンであり、回顧録も同様だと思われる。彼の周りの人々の過去の記録が僅かながら原文で閲覧出来る。美しい伝記ではない。アスペルガーと思われる興味のない勉学は'まるでダメという苦悩の幼少期のリアルな周囲の困惑だけではなく、後年、天才たるが故の神になりたかった妄想などが彼の理論物理のファウンデーションになっていることがよくわかる。美しいと賞賛される彼の手記の中で「Ich wollte wirklich, dass Deutschland gewinnt.」と言う言葉が紹介されている。この、心底ドイツに勝ってほしかったという本音は、何よりも優先されるはずなのに、彼は後にそれが大きな過ちだったと言う。兵器がほしかった米国がそうさせたのではないかと私は個人的に疑っている。ユダヤ亡命のように渡米しているのだからこれは事実だろうか? そこが彼の素晴らしさと言うことでクローズアップされる。否。そうではない。勝ってほしいという部分こそが、天才の社会に対する狭い視野の中でクローズアップされる部分なのだ。そして前述したように、ホモサピエンスの病的天才が発するカルマなのだ。これこそが真の考察なのではないだろうか。

ウクライナでちらつかせるロシアの核兵器は、使用されたら最後人類の終焉だろう。ホモサピエンスの終焉は核かバイラス。原子の向こうに宇宙があると信じていた天才学者の理論はあながちホモサピエンスの終焉も見えていたのかもしれない。宇宙に充満するエネルギーを手元の兵器として使用するプランが、黄色人種だった我々の元に降り注いだ。実行は天才科学者でもない。トルーマンでもない。ホモサピエンスが作り上げた(社会の差別も含めた)システムなのだと思う。その悲惨さを語り継ぐことや反省や後悔や憎しみや様々な思いが、逆に「核」のエネルギーとなってしまっていることに私たちは気がつくべきだろう。

アレルギーのような否定の先にある未来は全て暗いと信じる。咀嚼して飲み込み肯定しながら暗部を模索しそれも真実と留め置きシステムを構築することで、未来はより開かれると信じている。今更だが、失った尊い友を懐柔させる様な愚かな事は思わない。これが現実として受け止める。



12月 10, 2022

シリーズ夢の話 第4話 最終回

 今まで夢の話をしてきたが、これが最後。

ちょっと不思議な夢の話が現実に。2004年秋、津波の悪夢で目が覚めた。津波の場所は見たこともない椰子の木が茂った海岸線。遠くの海が盛り上がりそれが徐々に海岸に押し寄せ、砂浜にいた人々が蟻の子を散らすように逃げ惑う様子だった。一体ここは何処なんだろうと考えてもみたが、むしろ夢占いで津波の夢とは何なんだろうと色々調べるが、今ほどネット環境が発達しているわけでもなく、ちょっとした不思議本ではスクラップアンドビルドを潜在意識が夢を見させたのだという解説。妻に話すと「変な夢見て飲み過ぎじゃないの?お酒に溺れる夢じゃないの?」と。いや、夢占いの話は考えてもいなかったのでただの怖い夢としてノートに書き留めておいた記憶がある。12月スマトラ沖大地震での大津波のニュースが入ってきた。

2011年2月末。年度末も押し迫り慌ただしい毎日を送っていたある夜、地震の夢を見た。2階の研修室の天井が崩れ落ち、幸い人もいなかったせいかけが人もいない。翌日事務局に、「地震保険って入っていたっけ?」と問うと「いえ、火災保険の書き換えの時入らずにそのままになっていました、すみません」という回答。私は虫の知らせを信じるわけではないが「すぐ入ろうよ」と言うことで保険屋を呼び3月1日から地震保険に加入した。やはり妻にその事を話したら、良い機会だからちゃんと入っておきましょうと。

東日本大震災は保険加入の直後、3月11日におきた。惨状は皆さんの知っている通りだ。

研修室の天井が落ち、診療室は崩壊は免れたが、数日の休診は余儀なくされた。停電で暖が取れず、石油ストーブを引っ張り出しやかんをかけて、フライパンで冷凍庫の物を研修医の先生方とひたすら食っていた記憶がある。

地震保険が給付された後、保険屋さんが「凄いタイミングでしたね」というので。実は夢見たんだよと経緯を話すと目を丸くして驚く。「先生、次に地震の夢見たときは真っ先に教えてください!」と頼まれた。そりゃそうだ。

私は予言者でもなければ、予知者でもない。しかし、こういうことが時々あると、にわかには偶然だろうとは思えないことも事実だ。地中海の犬の時代から数百年。最近は年のせいか不思議な夢を見ることはなくなってきている。出来るなら、自分の最期を夢で確認したいと思うのだが。人様に迷惑をかけずに静かに末期を迎えたいと言う希望があるのだから。


(コラム)

一度、首をはねられた夢を見たことがある。まな板のような所に後ろ手で縛られ頭を乗せられ私は兜をかぶっている。「最後に言い残したいことはあるか?」と言われ「いや、特にない。」と答えた直後、首をはねられ、その後数十秒廻りの景色が見えていた。痛みはなかった。目の周囲から暗闇が迫り、目の前に雪のような物が降ってきたと思ったらそこで意識が飛び、目が覚めた。これも過去の記憶なのかもしれない。