GWを利用して、函館と言うか、七飯町というか、大沼公園の中のエプイというホテルに来た。ここに来た理由は部屋に温泉露天風呂がついている、ただそれだけの理由だ。あいにく天気が悪かったので、朝早くから夜遅くまで幾度となく風呂に入るという贅沢三昧を(笑)。
やや大きめの部屋付き浴槽の湯に浸かりながら、久し振りにマインドフルネスにトライ。
聞こえてくるのは鳥のさえずりと掛け流しのお湯の音のみ。無心になりながら呼吸のみを意識して目の焦点をどこかに合わせず宇宙の果てを見る。ふと、イワノフの小説が頭をもたげるが振り切る。ただただぼーっとして時間をやり過ごす難しさに直面する。そう、これこそが忘れていた本当の時間という「時」の流れかもしれない。達観した境地には至れないが、何か、運だとかカネだとか生き様だとか力だとか堅持だとか煩雑だとか混沌だとか、全て己の心の雑音でしか無く、今自分が元気に生きていることだけが真実だと、誰にも頼らず感じてくるのだ。言い換えれば、世の中のコンサルと言われる人達はその雑音を整理する怪しい仕事だなとふと思う。
車を借りて出かけた先、恵山灯台から遠くを見ると、時代を間違えたかの帆船が見えた。海はひたすら荒れていた。目を離した隙にもう一度探すが見つからない。幻?夢?風はかなり強い。その後、素敵な灯台を後にあえて恵山から鉄山方面に山中を走る。昔の開拓の痕跡が消えかけた集落に、100年前の思いの痕跡をたどる。キタキツネが子ギツネと道を渡る。流れる温川は人の手が殆ど入らない昔の川のまま、イギリスのコッヅウェルを思わせる素敵な川の両岸になぜかひたすら懐かしい思いが、、なぜだろう。魂の記憶だとこういうこの感覚はいつも大切にしている。ちなみに私の前世はギリシャのイオス島の犬だったが、その前は中国の鉄道作業員、時間軸が前後しているけれど列車にはねられて死んだらしい(笑)。犬の時は老衰(笑)。そんなものだと思えば今の「欲」とはなんだろうなと思う。人が生きて死ぬのは当たり前だから、これからどうなるかでは無くLet it beなのだと今更だ。小賢しい過去の自分を反省するのも今だからだ。
帰るなり部屋の温泉風呂の贅沢。入る出る入る出るの至福也。大沼は鏡のようになっていて雨上がりのコントラストが羊蹄山を引き立たせているよう。昔、カヌー乗りだった(自称)私としては、この湖面に静かに流すカナディアンカヌーはまことに持って美しいに違いないと心に思った。
明日から日常に戻るが、この平凡と見えるいつもの日常を維持することの難しさと美しさに改めて感謝するとともに、だからこそ幸せなのだと感じる日常が、如何に素敵な毎日なのか忘れてはいけないだろう。旅日記としては各地の詳細な報告が出来ない稚拙さがあるけれど(笑)、思いは感じてくれるんじゃないかと邪推する楽しさかな(笑)。
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