5月 25, 2021

戦うことは悪なのか?

 久々にブログを書きます。

以前から何度も私は提言してきたことの一つに「戦うことは悪なのか?」という題目が有ります。戦い方は色々あるわけで、議論を戦わせることもあれば、政治力を戦わせることもあれば、素手で勝負することもあるかもしれません。

人類史上、「敵と戦う」ことは、最大のストレスとしてカテコラミンが大分泌され、特にそのアドレナリンはとんでもない力を発揮します。現代人はその処理に困りブラキシズムという日常を選択しました。火事場のバカ力はもう必要の無い世の中になり「戦うことは悪だ」とばかりにお花畑が広がりました。

花畑の中で人々は鋭利な感覚を忘れ去り、クラッシックにまだ持っている人間達を「野蛮」だと呼び、武力や議論を戦わせる代わりにお互いが妥協して見かけ上の「理解と共有」を選択することが一番賢いと教えられます。例えば外交力とはまさにそれだと教わりました。

結果我々は「筋の通らないことに怒る」事を忘れてしまい、のほほんとしたぼんやりとした日常を無意識のうちに選択しています。三島の言うところの「無機質でニュートラル」な日常でしょうか。近未来の予想はまさに仮面です。

我が歯科界でも似たような事象が多々あるのですが、ここでそんなことを言うと野暮になりますか?  例えば、、、筋の通らない金パラ問題(笑)を支える年功序列の組織運営にもの申せない現実とか?(笑) 思考停止の前例主義に陥っている厚労省に新たは手段などあろうはずもないでしょう。そこに歯科の組織が呪縛を解く呪文を念じ傀儡子脱却以外に方法はないはずなのですが、組織の目的を度外視した経年前例主義はまさに同じパラダイム。あぁ胸が張り裂けそうだ。。。。

そんなものに頼らなくても、私は一人で全て出来る!のなら、それはそれで素晴らしい。その気概を皆が持ち合わせれば金パラなどどうでも良い話だし。しかし、世界に誇る歯科における社会保障を守ることとは、一人で何でも出来る事とやや話は違います。比較する国家がない以上独自に己達が戦うことが肝要ではないのでしょうか。。




5月 08, 2021

オリンピックはやると決めたのでは??

このブログ更新が酷く緩慢なのは、考える時間が無いからだろうな。なんか20年前くらいと同じ位バタバタしてる。歯科医師不足や衛生士不足が響いてるなぁ。。さて、

 


五輪はやるんだと決まっていたと思うのだが、そうじゃない動きがまだまだあるのが不思議。天下の五輪アスリート達のSNSに、中止要請だとか、開催しないべきだとか、五輪否定のネガティブ書き込みが増えているのだという。本人に直接、そして匿名のごときハンドルネームで。どうかしてないか???

こういう頭おかしい人達って、普段どういうことに反応してるんだろうと、ストーカーのように(笑)過去の書き込みを追ってみる。おやおやぁ〜??

共通項が出てきた。五輪中止は、、反与党、あべがぁ〜一族、反核運動、9条信者、反原発、沖縄辺野古、人権問題(何故か支那、朝鮮除く)、、、、なんだよ、要するに声のデカい少数の左巻き。そして反日勢力(笑)。

あるアスリートが言っていた、「どうすればこの困難を克服し五輪開催に向けて何が出来るのかに思考を変えてほしい」 まさにその通り。出来ない無理だでは思考停止することはスタンフォード型会議の中でさんざん紹介されている。無理だというのではなく、どうすれば出来るかという思考ベクトルとエネルギーが重要なのではないかと私も思う。彼らは無理だと思わず、どうすればトップアスリートになれるかを考えたからそうなれた。無理だなと思った人達はなれなかった。それだけ。ダメだと持ったら大脳の思考回路はその方が楽だからダメな連鎖が続く。これ今時の常識じゃないか。

まあ、9条を唱えているから日本は平和で安心らしいから、新コロナも何か特別なおまじないを9条信者様達に考えていただきたい。そうすればこれ以上の蔓延は防げるというものだ。五輪も無事開催。特に何をしなくてもね(笑)。

しっかし、腹立つね。アスリート達に対しての非礼。おまえらがグダグダ言っている間にも彼らは真剣に汗を流している。尊敬しなさい。