6月 26, 2022

どうしてあなたは保団連の代議員なの??という突っ込み(笑)

 本日、日曜朝から保団連代議員会にWEBで参加。相変わらずの会長の挨拶や発言文書(これこそ左傾化しているがためただのガス抜きが目立つ)に対する執行部答弁は共産党の街頭演説や弱小政党の雄叫びを聴いているようでうんざりした。あれがほしいこれがほしい、あれしろこれしろそれが出来ないのは与党の所為安倍の所為岸田の所為ヒトの所為。ドサヨクの特徴的なこのロジックに、私は到底同意できるものではない。確かに素晴らしいプランも少しは出たが、それを実現する為に何が必要かという議論は皆無。あげくに、今の参議院選挙で勝ち取ろうとか、マイノリティの僅かな集合でマジョリティを凌駕しようという発想自体、もうバッターボックスには立てないのだ。


非常にネガティブな問いかけに、とんでもなくネガティブな執行部同意という、なんともはや、これで何か解決出来ると本気で思っているのだろうか。実現するための具体策は勿論、切り口が180度変わったときのポジティブ部分を全く明示できないがため、言いっぱなしが如実なのだ。まあ、陰気くさい。この陰気臭さから将来の国民健康を守ろうとか、、どこかで茶が湧く。


そんな中でも、私が思うだけだが、僅かだけれど非常に有意義な発言こそ、具体的プランとしてプロトコルの作成を急ぐべきだと思うが、そういう事に保団連は興味が無いようだ。また、日歯や日歯連盟が動かなければ現実味を増さなかった歯科材料問題が、保団連、各県協会の運動の結果だと言い切る部分とか、自画自賛のみの宣伝をしすぎるところもまた左翼ロジックか。歯科医師会や歯科医師連盟とも同じ動きをしていたため、、、とか言えない物なのだろうか。


いずれにせよ、保団連の極左傾化は現会長になってからのここ10年ドンドン酷くなってきている。彼は誰を守ろうとしているのか??診療報酬や医療問題は勿論、私が許せないのは9条問題を取り上げること。9条が無くなれば日本は戦争への道を進むと真剣に考える人達がいること自体、なんと日本人を愚弄しているのかと。


実は並行しながら、「歯科診療報酬の論点」という本を読み切った。そして思った。歯科診療報酬に関して保団連の言い分がどこか的外れであり、「中医協に保団連から代表を!」という30年前から実現すらほど遠いスローガンが仮に実現したとしても、現保団連からキチンと論理的意見を述べられるヒトは皆無だろうなと思う。北海道のTNB副会長先生は別。


いつものことではあるが、そもそも何故保団連各県協会は仕事をしているのか?なんのために?開業医憲章を忘れてないか?誰のために考えているのか?


だから、9条は開業医を守るのか?結果国民は?沖縄発言から、基地があるから攻撃される。だから基地はいらない。というお花畑発言は、我が家を守るためガードマンを玄関に置くと強盗が来る、玄関に鍵をかけると泥棒が来る、ということか。ウクライナのリアルタイム教訓は、強引なクリミア併合以来の10年の間のロシアとの外交努力が、核を放棄した圧倒的な軍事力の差のため意味を成さなかったと言うことではないのか。9条を抱えて、是非ともロシアに行って頂きたい!これ、医療問題なのだろうか。。。。。


余談だが、執行部のおBAか先生、防衛費をあえて軍事費と言い換えたあたり、もう何を言っても全て信用できないですから。I don't trust anything you say at all.


本代議員会の決議、、賛成106、反対1、、、、うははははは。絶対にサヨクには染まらない!

6月 14, 2022

薪ストーブの煙被害に関しての考察

その昔、私が小学生の頃、学校から帰ってくる道すがら、家々の煙突から漏れてくる煙は薪を焚く匂いがして、それに合わせ夕餉の支度だろうか、色々な美味しそうな匂いが道にあふれていた。当然腹が鳴る。と言うことは、私は薪の匂いがすると、穏やかな夕餉を連想して腹が鳴るのである。

都市部市街地での薪を炊いた煙が臭いとか、ぜんそくになるとか、まあ、昔に比べて圧倒的に人口密度が高いエリアで、この煙が「悪」になっているようだ。どの程度なんだろうとTwitterを覗いてみると、まあそれはそれは沢山あるが、その書き込みのヒステリックさが、何か「除夜の鐘が五月蠅い騒動」に似たロジックである。

人が沢山いるところに住まなければならない理由は多々あるだろうから、そんなところに住まなければ良い、、では問題は解決しない。そんなところで薪を焚くな、も薪を焚きたい人がいる限り無理な話、ではどうしたら解決するのかを地域住民で考えなければならないはずなのに、圧倒的にコミュニケーションが取れない昨今の近隣住民コミュニティにおいては、それ自体が大きな問題なはずで、そのはけ口がTwitter等のSNSになっていることが大きな問題ではなかろうか。こんなにいるんだよと覗いても、何処の誰が何処でどうなのと言うそもそもの解決策を見いだせず、罵詈雑言で終わっている。

話は変わるが、「アゴラ」でこの問題を提起した文章が載り、コメント欄が賑やかになった。私が書いたコメントに真っ向から否定する主(匿名)がいて、煙反対を書き殴っていた。賛成論者には「出た!論理のすり替え」とか「ストーブが売れなくなると困るひと」とかずいぶんなレッテル貼りをしていたが、私(実名)に対しても酷い反論を書き、あげくに「どんな奴か調べたら、おまえの医院のGoogle評価が酷い、先にこっちを何とかしたら?」など直接関係の無いどうでも良い事を書き殴っていた。
ここからは憶測だが、その数時間後、私の医院のGoogle評価に星1を付け、名前は「あおいそら」(ゲラゲラ)。とある方法で紐付け確認するとウチの患者ではあり得ないエリアのIPアドレス。「あなたはウチの患者ではありませんね、こういう嫌がらせは断固処置します」と返信したところ即座に消去された。
これが、こういう人達の本性なのである。ふと、れいわ新選組の山○太郎を思い出す。何故かしら。(笑)

薪の匂いが臭いと感じる人はその通りなのだろうし、炊いてる人はわからないだろうし、それ自体を「悪」とするには感情論が先走りしすぎて議論にならない。電気や石油に頼り切って僅か50年だ。この先の問題として大いに議論がほしいところです。
そういえば、原発もまた、似たようなロジックだ。

世の中、おのれのことはさておき、好きと嫌いだけで社会が構成され始めている危機感を皆持ってほしいものだが。。。
私は、かつての夕餉を思い出す薪の煙が、あちこちからたなびく環境に戻ると嬉しいのだが。それもまた夢のような話なのかもしれない。

6月 07, 2022

何もないけど掛け流しのお湯がある

 
かつては、けっこうな頻度で書き込んでいたこの日記だが、古くは2000年に遡るので、もう22年ともなると、そりゃ、書き込む数も減るだろうし、FBにちょっとした愚痴や報告も出来る物だから、余程のことがない限り本来のブログに戻れないわけで、そういえば自前ブログサーバーが支那の攻撃で吹っ飛んで、数年分がなくなったものだから、躍起になって探し出しテキストだけでも保存したけれど、もう、それを整理する気力もなくて、丁度そのあたりだったか、某有名書店からこのブログを本にしないかと誘いがあり、半身乗り出したけど、なぁんだ、けっこう自腹切るのねと言うことで、丁重にお断りしたのも、ついこの間のような気がして、そんなことを思い出しながら、八甲田山中の電波がない秘湯に一泊二日だけれど、こもった物だから、何もないからこそ随分大脳を使うのだなということで、この久し振りのブログに筆が動いたわけだが、音と言えば雨の音と掛け流しの温泉の音、テレビはとりあえずあるけれど、付けてみると今更ながら、特にこういう場所では騒音以外の何物でもなく、騒音ではない時は、何かの意志の押し売りであることに、今更ながらはっとしたわけで、本来人という物は、こういう所でしんと静まる瞬間を大切にしながら、明日のことを色々考え、そしてその考えは膨らみ、ある意味の夢となり、それが実を結ぶためには何が必要なんだろうと、実に当たり前の事が、随分長い間忘れ去られていたことに、こういう何もない瞬間にふと思い出し、而して並行しながら全く別のことを考える余裕もまた、掛け流しの部屋付きの湯船に浸かり、ああ、そういえば小説を、Hanadaをと本を取り出し、あれあれ、この湯船では読めないじゃないかと、ふらふらと湯あたりしながら、久し振りに面白い小説に舌鼓を打てるこの時間さえ、何かさっきまで忘れていた。

雨の音と掛け流しの音だけ

ちなみに、この「。」のない小説的文章に初めて出会ったのは意外と楽しかったのに、なんか心がすさんでいた予備校時代。なんという作者かすら忘れたが、こういう本を借りた東武東上線「ときわ台」の図書館は覚えている(笑)。

なんていうどうでも良い事まで、すーっと思い出す、このお湯の不思議さなのでした。繰り返すが、電波というネット環境がないという幸福もあることを理解してほしいと、アナログではなくデジタルネットに訴える私。。(笑笑)

気は触れてません(笑)