2月 16, 2026

エジプト記 3~9日(笑) まとめすぎそしてまとまらない(笑)


 3日目は、アスワンからアブシンベルに移動。果てしなく何処までも続く岩砂漠を4時間以上バスは走り続ける。この荒涼とした風景を何時間も眺めながらふと思った。スターウォーズのスピンオフ、キャシアン・アンドーの生まれ故郷の星の風景そのものがとにかく果てしなく続く。

こういう所で生まれ育ったらどういう思考回路になるのか見当もつかない。勿論知識を入れていけば私たちの理解の所まで近づくことは可能だろうが、そして私たちも近づけるはずなのだが、多分難しい。

かつてカタールのドクターが話してくれた昔の話。果てしない砂漠を一人で移動していると向こうからやはり砂漠の旅人がやってきた。日本人なら挨拶や情報を交換したり水や食べ物を共有できるんじゃないか?しかし、私たちの祖先はここで厳しい教えを持っていた。向こうから来る旅人は敵なのだ。如何に全てを奪うためにどうするかを真っ先に考える。なぜならこのまま砂漠の旅を続けることは大変なリスクを追う。だから可能な限り水や食べ物を奪うことが自分が生きていくリスクを減らすことが出来るのだと。そしてそれはお互いにそう思っているという。

如何だろうか。この基本的な思考回路がインプットされている民と、私たちは共存共栄できるのだろうか。旧約聖書の中で既にこの事は危惧されていたため、神は言語を。共通の認識のある民達だけに同じ言語を与え、共通認識が無い民には違う言語を与えているのだという。私はこの考えは至極真っ当で、きれい事を並べるリベラルな人達とは真っ向から対立するのだと思う。


アブシンベル宮殿は、これもスターウォーズの世界だった。というか、ルーカスはこれを真似したのだろうけど。幾らアスワンで移設したとは言え、この素晴らしい宮殿に息を呑む。朝焼け夕焼けもアブシンベルで経験させてもらうと人生観が勿論変わる。

またバスで荒涼とした砂漠をひた走りアスワンまで戻りライン川クルーズ船に移り3泊する。ライン川を下るこの度のハイライトかもしれない。穏やかにユックリと進む船から、途中下船してルクソールへ。王家の谷もやはりルーカスの世界か(笑)。ツタンカーメンの墓を見つけた少年は、カーター卿にその手柄を譲りはしたが、その存在は驚くべきシステムで作られており、それを解明するにはやはり大英帝国の知識と技術が必要だったのだろう。


下船後、一路カイロへ向かいメインイベントのギザのピラミッドか。それぞれの詳しい紹介と感想はそれらの素晴らしい本に任せて、私は違う切り口でエジプトを見てみたい。

荒涼とした砂漠の中に突如現れる無数の円形の小麦畑をご存じだろうか。空から見るとよくわかるが、これは砂漠の中の大穀倉地帯なのだ。ここの小麦は殆どがウクライナ戦争に明け暮れるロシアに送られる。何故?そうその関係は先にも述べたアスワンまで遡るのだ。アスワンダムは1960〜1970までの大工事で出来たエジプトの心臓だが、その資金をソ連が出していたのが最大の理由で、今でもエジプトはロシアとの関係は非常に深い。しかし通貨はエジプトポンドとドルが流通していて経済の混乱と成長が阻害されている一つの要因となっている。

また、砂漠の中に突如現れる集落はイスラムの土葬のお墓と住居が合体した近代的理想郷で、多分日本人には全く理解出来ない集落ではないかと思う。どこかから移設されたのかまるごと集落なので、私は、、、、何か得体の知れない恐怖を感じるのだが。

やはり、最後までまとめることはこのページでは無理なので、次はルートをもっと詳しく紹介してみようと思う(笑笑)。


2月 06, 2026

初めてのエジプト、、というか、アフリカ大陸1日目2日目

 まだ雪の沢山ある三沢空港から朝一路羽田に向かい、リムジンバスを乗り継いで、酷く久し振りの成田空港に到着したのは夕方でした。その昔、海外に行くのは必ず成田だったのだが、羽田がドンドン国際線枠が増え、10年以上前に比較すると全く来ることはなくなったし、第1ターミナルばかり利用していたので、ましてや久し振りの第2ターミナルなどお上りさん状態でキョロヨロしてしまった。今回選択した機材はカタール航空という初めての航空会社で、Q-スイートというビジネスクラスが素晴らしいとの噂を聞いて。

成田からドーハに着いたのはドーハ時間の早朝。12時間半のフライトだったが殆ど寝ていて、素晴らしいビジネスクラスを味わっていない(笑)。しかし、食事は確かにレベルが高かったかもしれない。ドーハの有名な黄色熊の下で記念写真。3時間程のトランジット後ドーハからカイロに向かう3時間ほどのフライトは快適。

世界三大うざい国の1つでるところのエジプトだが、ホテルのチェックインまではスムーズ。タクシーが〜〜とまとわりついてくるのは の〜しゅくらん と断り続ければよい。ちなみに町はキレイなところ、ゴミの山の所とある訳だが、全体としてインド臭は(臭いではない)ぬぐえないか。米国SF在住のYANAGI氏が言っていたが、エジプトとは、、天国のような日本に住んでいる我々なら数ヶ月で発狂すると。なるほど。と言うことは、東京の女帝が都にエジプト人100万人移民計画とか、おいおい、逆に発狂しているが、一度天国に来た移民がそうではない所にそう簡単に帰るわけがないと理解して言っているんだろうね。これからの東京がますますスラム化していくのが心配だ。子供達は「わんだら、わんだら」と言いながら何かを売りつけようと必死。一人から買いもしようものなら、鈴なりに子供達が集まってきて身動きが取れなくなるから注意した方が良い。

到着2日目、エジプト文明博物館に行く。ここには非常に状態のよいミイラが22体展示されており、ローカル人を含めけっこうな観光人が訪れていた。改めて保存状態の優れたマミーは3000年の時を旅している旅人で、死んだときまさか私たちがあなたを見るとは想像もつかないだろう。歯列は完璧で、大きな欠損は戦いの時の物らしい。外科処置も素晴らしいらしい。人の英知なのか宇宙人の仕業なのか(笑)意見の分かれるところかもしれない。その後カイロ空港からLCCでアスワンまで向かった。2時間弱だろうか。アスワンの人口は50万人と聞く。アスワンダムやアスワンハイダムの町。1960年から1970年までの10年で建設されたエジプトの心臓だろう。エネルギー問題や洪水問題を解決する手立てだったのだ。注目はその構造とかでは無く当時のソ連のお金がここに注がれたということ。米国は助けなかった。ソ連は助けた。当時アラブ社会主義が台頭していたためエジプトももれなく参加したため、現在は民主主義ではあるが今でもロシアとの関係はかなり深い。アスワンからバスで4時間走り、アブシンベルのホテルにチェックイン。そこから夜になってから向かったアブシンベル宮殿の素晴らしさとユネスコの話は有名なのでWIKIや関連YouTubeやブログで飯食ってる人のブログや私のFBのタイムラインでどうぞ(笑)。私のブログは通常の旅行記と言うより切り口を変えたエジプト紹介にしたいので、、偉そうにすまん。(ちなみに画像アップできる通信環境じゃないので(笑))