昨日今日と青森出張でした。
こんなにブログを更新しないのは多分初めてぐらいじゃないかと思う。ある意味、想像を超える忙しさ(本業だけぢゃなく)に、にっちもさっちもいかないのですよ。コピーロボットが欲しいなぁ、のび太君。
書きたいことは山ほどあるが、どうせ何も進捗しない南朝鮮の反日だけのたかりの話や、安倍政権のマスコミの批判が的を外している話や、相変わらずの朝日新聞の売国っぷりの話や、そうそう、ISILの臓器密売がばれて、その残虐行為を断った医師12人が惨殺されたと言う話。イスラム教と何の関係もないアナーキーな暴力組織だと言うことがこれでますます明らかになったわけだが、さて、「テロ政党」ヤジでぶち切れている共産党の諸君、ISILまで得意の話し合いに是非出向いてくれ。あん?話し合いは得意じゃなかったっけ。。
その共産党の話を少ししようか。色々思い出してきた。かつて若かりし頃ワシはこの政党に非常に興味を持っていた。だからこの政党関連の本を片っ端から読みあさってみた結果だが、いつも言うように「きれい事ばかり言う全く信用できないでたらめ政党」のレッテルを貼らせてもらおう。あ、社民党は論外ね。
確かに戦後、シベリアから支那に流れた元日本兵捕虜は、支那に大変手厚く保護され共産主義の徹底的な洗脳を受け、帰国後中国共産党工作員として色々な事件を起こした。共産化を恐れるGHQもかなり神経質に取り締まりに当たっていた。
昭和20年代、日本全国で共産党員は数々の極左暴力事件を起こし、頭を悩ませた時の政権は昭和27年破防法公布施行、公安調査庁を発足(まるでオウム教)。しかし当局の厳しい目からすり抜けるように共産党員の社会に対するテロ行為に匹敵する暴力事件は後を絶たず、ワシの手元にある資料だけでも昭和29年までの2年間で15件の凶悪事件が列記されている。言っておくが、党員である。
日本近代史の中で、共産国抑留から開放され、国内工作が盛んであった昭和24年、総選挙において新日本創設と立ち上がった共産党は300万票を獲得。実に34議席を獲得するに至るが、昭和27年の総選挙までに引き起こした極左暴力事件の生々しい記憶の所為か、この年の総選挙ではわずか89万票ですべての議席を失った。
党の存在意義はかなり希薄になり、サヨクカクメイ路線返還を迫られ今に至っているのだが、きれい事羅列の大企業嫌悪の相変わらずの思考回路で、国民を守るという大義名分の元、実は一番大切なのは国家ではなく砂粒の個であることを曝露。あに図らんや現代の若者感覚に少しのマッチングを見て、今回の選挙で議席数を伸ばすという結果になったと解説する奴もいるが、いや、民主党のていたらくのはけ口になっただけという分析の方が正しい気がするけどなぁ。。
そういえば、ワシは大好きだった「ハマコウ」先生が「宮本顕治」と「宮沢賢治」を間違えて大騒ぎしたのは議長職で良くやったものだ、、で、面白かったが、実はあれは共産党史の中でも実に不快な闇の部分の本当の話で、皆さんきちんと勉強するように。宮本は小畑をリンチで死に至らしめたのは本当の話。しかし、日本共産党は「小畑は特異体質だった」と発表しているあたり、なんだ、赤軍派事件と何も変わらないじゃないか、、と言う事になるからね。そういえばWEB上に「日本共産党の正体」という人気ページがあります。是非。
そういう政党だと言うことを、誰が言ったか分からないが今回のちょいと下品なヤジ「さすがテロ政党」でふつふつと思い出したというわけでした。あ、ワシはこの政党に対して悪気はないし悪意もないのであしからず。
0 件のコメント:
コメントを投稿