忘れないように、過去のブログを振り返ります。
地震直後の様子と色々。。
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- ここから、previousを順に見てみると当時の状況が分かりますね。
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現地へと向かう
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その他色々詳細はこちらからも
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ワシらが入った宮古市田老地区は要塞のような防潮堤に守られたはずの街でした。あの悲劇から5年、三陸地域では空に届かんばかりの10メートルクラス防潮堤をココソコに見ることが出来るようになるでしょう。美しい海は間近に見ることが出来ず、まさに塀の中。。。。賛否両論あるでしょうが、ワシは実に悲しい気持ちになりました。
しかしなぁ、田老でさえ10メートルクラスのものが用をなさなかったワケで、そういうものを400キロ造ることは、万里の長城への挑戦か?
そのことに何か意味があるのだろうか?
家を守る?人は避難でカバーできるからやはり家を守る?
ちなみに田老では局地的に最大38メートルの津波でしたが。。。。。
これらの防潮堤は、、、何を守るモノなのだろう?生活?海?ワシには分からないのですよ。海も人も何も見えません。
あれから、5年。鎮魂と言うにはまだまだ時間がかかりそうな被災地です。
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