6月 12, 2017

顎咬合学会考察、、、なんてね

今まで参加する度にブログを書いてきた顎咬合学会である。なぜなら一番GPに近い関係の学会だからだと勝手に思っていた。他の学会自体は専門性を持った物がほとんどで、その研究対象は患者ではない。患者の持参した何かが対象なのだ。病気は詳細に診てるが病気の人は診ていない。
しかし、この学会は、臨床における患者が対象の数少ない学会だと思っていた。だから咬合自体をメインにバラエティに富んでいるし、カテゴリーも広範囲。病気ではなく病気の人を診るという医療の根本を見つける良い学会だと思っていた。(顎咬合学会というキーワードでワシのブログを検索するとずいぶん好きなことが書いてある(笑))

で、、、自分のブログを読み返すと、数年前から良い感じに戻ってきたと書いてある。十数年前からは何か常軌を逸した感じがしていて全くなじめなくなった。そう、ハウツー学会としてしばらく続くとスーパーテクの品評会みたいに常軌を逸し始める。
しかし、考える学会に戻ると人は考え始める。スーパーテクの裏側には実は星の数のエビデンスが隠れていそうでそうではない。パーフォーマンスが隠れている。患者の思いは見えない。
考える風にシフトチェンジすると、多くのエビデンスの結果ではなく苦労が見えてくる。結果患者が見えてくる。まあ、これも年のせいだろうが(笑)。

初日朝からのメインポジウムがメインテーマだといつも思うが、Dr.Stohlerの日本に気を遣った(笑)考えさせられる講演が非常に良かった。しかし、日本のことをきちんと理解しているかと言えば、そんなことはないだろう。マンハッタンのコロンビア大学の机上で理解出来るとはとうてい思えない。その商業主義的米国の歯科医療の所為だろうが、日本の歯科医師の数が多いと言う話もしかり。で、コンビニの数と比較している。もう、こんなこと売れないコンサルでも最近は話さない事だがどうしたんだ?先生。
しかし、自国の歯科医療レベルをばっさり切る当たりは実に面白いなぁ。ごく一部のドクターを除いてのアベレージとしての歯科医療レベルは米国はとても低いと、わしがいつも言っていた事だね。しかも、歯科難民を4600万人抱えている。米国における歯科医療は金がないと基本だめだよということ。医療の公平性から考えれば不公平きわまりない。
要するに日本の歯科医療システムはすごいんだから、米国は出来ないんだから、超高齢化に向かって頑張ってシステムモデルをつくってね、、、とワシには聞こえた。。

いずれにせよ、何故かデザートの話がメインだった数年前に比べれば、主食の話が増えたというのは素晴らしい。しかし、メインの主食を変えなければ食うに困ると信じている日本人歯科医師もまた沢山いるのだな。多分それは違うよ。

さて、一般公開講演は実に素晴らしい内容で、これは聞いてよかったわぁ。75歳過ぎたらそりゃ病気じゃないよ、、というカテゴリーを早く作らないと大変なことになるなぁと実感した。そして、口腔ケアを実践していると言うことはすごいことなんだと改めて考えた。

初日の公演後の所行の詳細はFBにて(笑)。

最後に一つ。アンテリアガイダンスの呪縛から逃れるためには、アンテリアガイダンスのなんたるかを死ぬほど理解していないと出来ないよ、、と言うことがきちんと伝わらなかったんじゃないかなという講演があった。クラスではなくS1S2を無視した咬合挙上が勘違いされるだろうなと言う感想。ディスクルージョンすれば良いじゃん、、という発想はアメリカンナソロジーの負の遺産でしょ。無駄(?(笑))にエビデンスが多すぎから信用できなくなってきているというDr.Stohlerのメインポジウムの話を思い出した。

あるエビデンスを元に臨床経験値を上げた上で冷静に判断した時。その答えはハッピーな患者だけが持っているわけで、答えは患者なのだ。その答えの元の発表なのだからそれは良いのだけれど、そうではない答えも持ち合わせる広さもまた、経験則の話。菅野太郎先生じゃないけれど、症例の9割は何をやっても問題ないが、残りの一割は奥が深い。その9割の答えを持ってしてこれが正解だとは逆説的に成り立つことではない。で、その1割の患者の幸福度が自院を本気で支えている事実こそ、それもまた認識できるというもの。

そんなGPとして非常に考える事が、主食がメインになりつつある、そしてハウツーではない、そんなとても良い学会と感じたのでした。







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