前回、保団連のど左翼ッぷりの内容の一部を紹介したが、参加した私のメモを今一度見直して「あること」で吹き出してしまった。折しも、米国の北朝鮮研究機関38ノースの6/27最新報告によると、非核化どころか新しい核施設のインフラが進んでいることを衛星写真を元に確認したようだ。ほらね。
さてその「あること」だが、代議員会での理事者発言で特筆されるものがある。北の非核化と供に沖縄における防衛拠点としての武装施設は必要なくなってきているとの発言。
まぢか??そうなの?本気で?そう思うんだ!
だいたい一医療団体が、国の安全保障に関わる問題をこうも平然と批判すること自体に大きな憤りを感じるが、話している内容はいかにもな左翼野党の「自衛隊の基地があると攻撃される。必要以上の武力(?笑)があると狙われる」という気の触れた考え方を披露しているのだろう。そして重要なのは北はもちろんだが支那の沖縄占領ではないか。現知事がいかにどっぷりと支那に荷担しているかは明白だが(当選時、いち早くお祝いに駆けつけたのは支那共産党委員の面々)北はもちろんだが支那問題なのである。
最悪なのは保団連の研究大会が沖縄で行われるのだが、事もあろうか左翼的理論誘導して人集めをしている。
とにかく、セキュリティの強化をすると攻撃されるのだそうだ(笑)。だいたい、米軍の規模縮小に伴って支那の攻勢が高まり、領空侵犯領海侵犯は昨年だけでも記録を更新するほどの勢いで伸びている。
9条があることで助かっているのは日本ではなく支那なのだ。
尖閣においては2020〜2030年の間に支那は領土拡大を目論んでおり領土戦争も辞さないとの計画書が出てきた。これは民主主義における閣議決定と同じ効力を持つ人民党大会における人民軍決定文書だ。フィリピンやベトナムと同じ手順で尖閣の実効支配を考えていることは間違いが無い。
問題なのは、何故そこに医療団体として安全保障問題に介入する決議文を出したのかであり、我々の追求する素晴らしい医療実現の足かせになっていることは、今までの国会行動や厚労省行動でも自明の理となる悲しさか。医療問題に的を絞りその成果を前面に出せば会員は自ずから増える。しかし、私の40名弱の勉強会でも、月間保団連の左翼政治的な表題を見た場合、ほぼ100%読みもせずにゴミ箱に直行している事実を理解するべきだろう。
色々な考えや意見や政治的信条があることは理解出来る。しかしそれはそういう好きな人達が集まって傷をなめ合えばいい話。こういう医療の場所に持ち込んでは、今の若い先生方は正しい歴史経緯と正しい情報か否かを峻別する力があるだけに、偏った新左翼崇拝のような時代錯誤的考え方には全く同調できないだろう。
まあ、とにかく北は約束を破ったが、そんなことはみんな予想していたけどね。
さてと、私に対してのサイバー攻撃のセキュリティを強化しようかな(笑)何処の誰が何処から仕掛けているかを特定できるようにしておかないと(笑)。
6月 28, 2018
6月 24, 2018
保団連代議員会2019
保団連代議員会に出席。相変わらずのど左翼っぷりが、もう此処までくるとあっぱれ(笑笑。共産党党大会かこれは?そして国旗がない。社会保障の恩恵を受けているにもかかわらずだ。
全ての発言が医療問題だけではなく、背景にあるヒステリックな反安倍でもう聞いていてうんざりする。添付された資料は購読者が7割も減っている朝日新聞がメイン。以前から強く意見した共産党機関紙赤旗の引用は流石になくなってきてこれはいいことでしょう。しかし朝日だが(笑)。ふと見ると、地方における護憲講演会パンフが入っている。演者が東京新聞の極左運動家「望月いそこ」にはまあ驚いた。一体何を考えているんだろう。そして、決議案の最後にはいつものように9条を守るとか普天間基地の運用停止とか、なぜ保団連代議員会決議なのだ???
譫言のように9条を守る事で平和が維持できると本気で考えている御信者の人たちは、世界各国からその政治的同意をもらってきてほしい。ああ、そういえば信者さんのフロア発言で「素晴らしい平和の国コスタリカのような・・」とか言っていた先生がいたが、まるでわかっていない。いい話だけピックアップの情報ですね。コスタリカは軍のない非武装国家として左翼連中は憧れる。しかし、国家警察が隣国ニカラグア軍の3倍ほどの武装力を持っていることを知っているのか知らないのか。だから長らく続いている国境紛争も沈静化されていることを知っているのか知らないふりなのか。そして近年は稀に見る凶悪犯罪率の増加が注目されているのだが。
自国の平和は自国が本気で守るその気概と士気が、いかに重要であるか理解できないのだろう。9条を死守しなければ戦争が始まる、子供を戦場に送ることになる、という突飛な発想理論の元こそ、戦後の日教組左翼教育の賜物である自虐史観からくる「そもそも日本人が信用できない」という発想そのものではないのだろうか。GHQの手先か。う〜ん、バカ。
この国が好きだ、日の丸を掲げたいという当たり前の日本人としての心をなぜか否定するこの組織は、そもそも、誰のために何をしているのだろうという疑問は拭えない。手を上げて発言する気持ちも完全に薄れた。ではなぜ私は代議員として参加しているのか?それはバランスという重要な役割があると信じてのみの行動であり、こういう辛辣な意見を書く事で会員の思いの均衡を保つことが重要だと思うからだ。
右だ左だと言っている暇はないくらい医療問題は山積している。しかし、世界中を回ると気がつくが、確かにあの本の通り10勝5敗で日本の医療は世界一なのだ。これを維持することは並大抵ではないはず。現政権の医療政策に関し、なぜもって「YES AND」で議論ができないのだろうか。何でもかんでもNO、NOでは話にならない。外野から物を投げるばかりの組織体質をなんとか改善してもらいたいものだが、理事者の顔ぶれを見て左向きがかなり多いのだと聞くとどうにもお話にはならない。日本の格差社会だとか貧困格差拡大だとか、他国が聞いたら笑われる内容も、井の中の蛙なのである。ただし、この蛙にしか見えない暗くて狭いが、だからこそ遠くの美しい青空が光っていることは確かに夢としては理解は出来よう。
ちなみに、売国野党として支持率が1%を切る政党の人間を持ち上げて保団連自体の国民の支持認識が上がるわけがない。発言を聞いていても左翼特有の「あなた方は騙されている」という上からの偉そうな意見ばかりでこちらとしては精神衛生上まことに宜しくない。安倍政権を難く思うのは勝手だが、今この時一体誰が我が国のかじ取りができるのだ?特に安倍政権外交の成果は戦後始まって以来の素晴らしい結果をもたらしていても報道されたり高い評価を紹介されたりしていないだけではないか。
YES ANDの発想で政権与党とキチンと対話できるバックグランドが、反日野党に頼って同調している今の保団連には全く無い。保団連ならではの素晴らしい客観分析データを持っているのだから、なんとかこの部分(ど左翼)を改善してロビーイングの成果を引き出していければ素晴らしいと思うのだが。心も体も非常に疲れたのでというわけじゃぁないけれど、左巻きガス抜き祭りはもう終わりにしませんか??・・という提案(笑)
あ〜、酔った。
6月 13, 2018
顎咬合学会2018
私のこのBloggerや、一つ前の自前サーバーが飛んだものは別にして、その前の前の楽天ブログやその前の自前サーバーオリジナルブログで、「顎咬合」キーワードで検索したら、何か面白かった。この顎咬合学会がいかに私の臨床に関わってきたか等がよくわかる。
って言ってもそんな大げさなものじゃなく、なんとなくだけど。毎年始めに今年の臨床目標はこうすると心算して、年半ばに顎咬合学会で、世のGPの顔色をうかがう。で、毎年思う土曜の午前中の招待講演の重要さか。今年は??ノーコメントです(笑)。
良く出来た後輩の一人である茂木先生や沖縄な宮里先生と下町に飲みに行くのが毎年恒例になった。かつての勤務医小澤先生やサトチュウ先生とも合流した。で、学会の評価?でもないが、内容の検証をするのが恒例になった。茂木先生曰く、数年前から、とても考える学会になって良かったね。そんな話をしたのが去年だった。今年はまたハウツー学会になって何だかなぁと言う話になった。ハウツー学会は人がついてこなくなることはみんな知ってるので来年は変わるんじゃないかと語った。でも、ハウツー学会になると言うことは、ハウツーなカリスマ先生がいる限りは大丈夫なんだろうと私は考えた。しかしそうすると単にお仲間学会になるので、厳しい側面を持ったGPとしてはどうなんだろう。
なんて言うことを呑みながら話をするのがとても楽しい。
しかし、これじゃぁ、ものが売れないのでメーカーやディーラーはハウツー大歓迎なはず(笑)。私は全くもって嫌いだし、そういうまさにアメリカンなハウツーな思考回路が「じゃあ、結局どうすればいいの?」というくだらない質問を引き出すのだと思っている。どうすればいいか答えは一つじゃないし著明な先生方も何かを発明した偉い先生も、みんな同じ歯科医師でしょ?と思う(笑)。
えびでんすがぁ〜〜というのはわかるが、もはや年間ペーパーの数と過去のペーパーの数はなんだかなぁの数でしょ。まじめに読むには大漁旗が必要。発展性も何もない。じゃあ、エビデンスもないなら患者で実験してるだけでしょ、とか言う人もいるが、おなじだろ?と言うことに気がつかないんだろうなぁ。米国の保険会社の策略に何で日本人がのるかなぁ(笑)。実につまらない。まさか、みんなそんなに適当な仕事してるわけじゃないでしょ。
と言うことは、やはり巡り巡って基礎を何処まで理解しているかが、臨床の鍵なのでは?と今更ながらまじめに思っているのでした。そんな感想の学会でした。
って言ってもそんな大げさなものじゃなく、なんとなくだけど。毎年始めに今年の臨床目標はこうすると心算して、年半ばに顎咬合学会で、世のGPの顔色をうかがう。で、毎年思う土曜の午前中の招待講演の重要さか。今年は??ノーコメントです(笑)。
良く出来た後輩の一人である茂木先生や沖縄な宮里先生と下町に飲みに行くのが毎年恒例になった。かつての勤務医小澤先生やサトチュウ先生とも合流した。で、学会の評価?でもないが、内容の検証をするのが恒例になった。茂木先生曰く、数年前から、とても考える学会になって良かったね。そんな話をしたのが去年だった。今年はまたハウツー学会になって何だかなぁと言う話になった。ハウツー学会は人がついてこなくなることはみんな知ってるので来年は変わるんじゃないかと語った。でも、ハウツー学会になると言うことは、ハウツーなカリスマ先生がいる限りは大丈夫なんだろうと私は考えた。しかしそうすると単にお仲間学会になるので、厳しい側面を持ったGPとしてはどうなんだろう。
なんて言うことを呑みながら話をするのがとても楽しい。
しかし、これじゃぁ、ものが売れないのでメーカーやディーラーはハウツー大歓迎なはず(笑)。私は全くもって嫌いだし、そういうまさにアメリカンなハウツーな思考回路が「じゃあ、結局どうすればいいの?」というくだらない質問を引き出すのだと思っている。どうすればいいか答えは一つじゃないし著明な先生方も何かを発明した偉い先生も、みんな同じ歯科医師でしょ?と思う(笑)。
えびでんすがぁ〜〜というのはわかるが、もはや年間ペーパーの数と過去のペーパーの数はなんだかなぁの数でしょ。まじめに読むには大漁旗が必要。発展性も何もない。じゃあ、エビデンスもないなら患者で実験してるだけでしょ、とか言う人もいるが、おなじだろ?と言うことに気がつかないんだろうなぁ。米国の保険会社の策略に何で日本人がのるかなぁ(笑)。実につまらない。まさか、みんなそんなに適当な仕事してるわけじゃないでしょ。
と言うことは、やはり巡り巡って基礎を何処まで理解しているかが、臨床の鍵なのでは?と今更ながらまじめに思っているのでした。そんな感想の学会でした。
6月 06, 2018
デジタルデンティストリーの行方
多分このブログで何回も書いていると思うが(笑)、、、、70年代後半、TK80で胸騒ぎの興奮を覚えワンボードでプログラミング、2年後MZ80Kと出会い興奮はさらに加速した。マイコン時代の到来と供に80年代後半、衝撃のマッキントッシュと出会いパソコンの未来が大きく変わることを確信した。バカみたいに高価だったけど(笑)。そして今、私はマイコンいじって40年たった(笑)。
OSと言う概念が、CPM/86でこういうものなんだとコマンドを覚えた。が、それだけで決められた仕事を決められたようにこなすだけ。MAC OSのクリエイティブな感覚に、パソコンの将来はこうなってこんな事も出来るようになるだろうと夢が膨らんだ。世の中にWINが出てきた。WINと言う名ばかりのDOSに苦笑いをした。95のCMが大当たりした。しかし、いとも簡単にデータフォルダをシェアできるマックと違い、あえてネットワークプロトコルを難しくするゲイツの野望がやや垣間見られた。
この頃からのWINの進化はマシンスペック競争を呈してくる。コンピューターが個人のユーザーに降ってきて、皆、何か出来るんじゃないかとわくわくしたが、実はそうではなく、ジョブスとのベクトルの違いに賛同できるものとそうではないものと大きく分かれてきた。OSのバージョンアップはマシンスペックのバージョンアップを必ず必要とするため、実は高いと言われたMACよりお金がかかることに気がついた。ゲイツはこういう所でナイスだ(笑)。
八戸が誇るなっちゃん大先生のデジタルデンティストリー講演を、ちゃんとお金を払って(笑)聴講した。いままでのデジタルデンティストリー20年近くの流れを時系列で一番理解している先生だから、とても勉強になる。そして感じたのだけれど、、今のデジタルデンティストリーが、このWINの歴史を残念ながら踏襲しているのは何故なのだ?アルゴリズムがDOS発想ではないか?
なんか、世界中のデジタルデンティストリー関連メーカーの発想がクリエイティブではない。だからどうしてもスキャンのスペック、処理のスペック、要するにマシンパワー合戦になっていて、肝心のクリエイティブなシステムビルドになかなかたどり着かない気がする。マシンパワースペックでソフトウエアのランクが左右されるのはゲイツの発想(笑)。みんなぁ、気がついているかなぁ?
例えば現行の一つの例だが、ふと思う。AIコンフィグュレーション、すなわち、システム空間配置がAIではなく、なんだかこれはDOSなのだ(笑)。CTデータや運動解析データの落とし込みまではなんとか精一杯システム構築の準備があるようだ。が、しかし、何故そこに顎運動咬合理論の数万件の論文をデータベースでこいつらに読ませないのだろう。それこそ、口腔とhumanenvironment protocolまでAIに診断させるべきなのでは?
S社K社とかのバーチャルの咬合器はおもちゃと化し、そこまで行かない普通の単純補綴は、単に技工士の代わりと経費コントロールなだけで、かつてのDOSマシンの事務職と時給コントロールの代わりをPCが行っていた時代と何も変わらないのではないだろうか。進化をしているのは認めるが全く同じ進む向きとして残念。
スタック型のハイパーカードをわくわくしながら素人が作っていたのはWINな人達じゃない。なぜなら発想がまるで違うから。そして今やアプリの発想はswiftで教育現場も手放せない。デジタルデンティストリーの未来を考え具現化する能力のある人達が、こういうベクトルの違いに早く気がついてほしいと思うのは私だけじゃぁないと思っている。使う人はあくまでも何処までも「楽ちん楽ちん」という本当のUIをハードもソフトも実現するのはまだまだ先なのだ、、なんて言うのは困るなぁ。。。
OSと言う概念が、CPM/86でこういうものなんだとコマンドを覚えた。が、それだけで決められた仕事を決められたようにこなすだけ。MAC OSのクリエイティブな感覚に、パソコンの将来はこうなってこんな事も出来るようになるだろうと夢が膨らんだ。世の中にWINが出てきた。WINと言う名ばかりのDOSに苦笑いをした。95のCMが大当たりした。しかし、いとも簡単にデータフォルダをシェアできるマックと違い、あえてネットワークプロトコルを難しくするゲイツの野望がやや垣間見られた。
この頃からのWINの進化はマシンスペック競争を呈してくる。コンピューターが個人のユーザーに降ってきて、皆、何か出来るんじゃないかとわくわくしたが、実はそうではなく、ジョブスとのベクトルの違いに賛同できるものとそうではないものと大きく分かれてきた。OSのバージョンアップはマシンスペックのバージョンアップを必ず必要とするため、実は高いと言われたMACよりお金がかかることに気がついた。ゲイツはこういう所でナイスだ(笑)。
八戸が誇るなっちゃん大先生のデジタルデンティストリー講演を、ちゃんとお金を払って(笑)聴講した。いままでのデジタルデンティストリー20年近くの流れを時系列で一番理解している先生だから、とても勉強になる。そして感じたのだけれど、、今のデジタルデンティストリーが、このWINの歴史を残念ながら踏襲しているのは何故なのだ?アルゴリズムがDOS発想ではないか?
なんか、世界中のデジタルデンティストリー関連メーカーの発想がクリエイティブではない。だからどうしてもスキャンのスペック、処理のスペック、要するにマシンパワー合戦になっていて、肝心のクリエイティブなシステムビルドになかなかたどり着かない気がする。マシンパワースペックでソフトウエアのランクが左右されるのはゲイツの発想(笑)。みんなぁ、気がついているかなぁ?
例えば現行の一つの例だが、ふと思う。AIコンフィグュレーション、すなわち、システム空間配置がAIではなく、なんだかこれはDOSなのだ(笑)。CTデータや運動解析データの落とし込みまではなんとか精一杯システム構築の準備があるようだ。が、しかし、何故そこに顎運動咬合理論の数万件の論文をデータベースでこいつらに読ませないのだろう。それこそ、口腔とhumanenvironment protocolまでAIに診断させるべきなのでは?
S社K社とかのバーチャルの咬合器はおもちゃと化し、そこまで行かない普通の単純補綴は、単に技工士の代わりと経費コントロールなだけで、かつてのDOSマシンの事務職と時給コントロールの代わりをPCが行っていた時代と何も変わらないのではないだろうか。進化をしているのは認めるが全く同じ進む向きとして残念。
スタック型のハイパーカードをわくわくしながら素人が作っていたのはWINな人達じゃない。なぜなら発想がまるで違うから。そして今やアプリの発想はswiftで教育現場も手放せない。デジタルデンティストリーの未来を考え具現化する能力のある人達が、こういうベクトルの違いに早く気がついてほしいと思うのは私だけじゃぁないと思っている。使う人はあくまでも何処までも「楽ちん楽ちん」という本当のUIをハードもソフトも実現するのはまだまだ先なのだ、、なんて言うのは困るなぁ。。。
6月 02, 2018
ケアマネとは、、、
A施設に夫婦で仲良く入所されていた話。夫のBさんと妻のCさんは入所当時から軽度の認知症はお持ちだった。Bさんは非常に元気で何でももりもり食欲はあったのだが、認知症が少し進んできた。しかし、奥さんの献身的な愛情はそんな認知症も忘れさせるほどの細やかさだった。とても中の良い夫婦。
そんな夫婦の中をとあるケアマネが引き裂いた。理由はBさんの認知がこれ以上悪化するとA施設では見ることが出来ないのだからいい24時間介護の施設を紹介すると。A施設は24時間介護では無いけれど、それくらいは職員の献身的努力でカバーできていた。何より仲のいい夫婦が一緒にいることが、余生にとってとても大切だと認識していた。
しかし、ケアマネはこの状況を家族さんには言わず。事もあろうか「もう見られない(介護できない)のだから仕方が無い」と嘘を告げた。家族さんはそれを鵜呑みにし「別の施設に移ります、ご迷惑はかけられません」とA施設に言ってきた。そんなことはないのですよと幾度も相談の機会をもうけたが意思は硬かった。奥さんは毎日涙した。夫婦お互いに大変なストレスを抱えたかもしれない。
ここで問題なのは、家族さん、A施設、ケアマネ、この3者の情報共有がどこかで歪んでおり、A施設にとっても驚きだったが、ケアマネがなんと言って夫婦を引き離したのか知るよしもなかった。情報の共有がうまくいっていなかった事を皆反省しなければならない。
うつられたBさんは、次の施設では、今までほぼ通常食で徹底した口腔ケアをしていたが、食のテクスチャーがきざみ軟食に。そして程なく、今まで発症しなかった誤嚥性肺炎で入退院を繰り返した。肺炎が悪化しA施設から移られて4ヶ月ほどで息を引き取った。認知症とはいえ、すぐ脇に最愛の妻が不在する悲しみから来るあきらめだったのか。かつての状況を知るA施設の職員一同、大変な驚きと大きな悲しみだった。
このケアマネは「居宅療養管理指導」を拒否する。口腔ケアを介護サービスからはずそうとする。何か知識とスキルに不自然な部分があるのだがそれでも立派なベテランケアマネなのである。釈然としない。
別のあるケアマネは在宅診療をしている現場でドクターにこういった。「いつまで治療をしているの?早くその歯を抜いて入れ歯じゃダメなんですか?」そのドクターは開いた口がふさがらなかった。入れ歯じゃダメだから残存歯の治療をしていると言うことがわからないのか。怒りより虚脱感が襲った。
また、ある介護現場では小さな訪問診療歯科治療ミスが起こった。誤飲したものを内視鏡で取り出すところまで行った。内視鏡の操作の不具合で出血が起こり入院となった。その患者の担当ケアマネは、歯科の責任だと怒り、内視鏡の問題ではなくそれに付随して引き起こされた入院治療費を払えと歯科医師に迫った。そもそもきっかけは誤飲かもしれないが、出血は歯科の所為ではない。しかし、こんな誠意のない歯科医師は聞いたことがないと慰謝料まで請求してきた。
私は、ケアマネはケアーをマネージメントするプロとして、患家及び患者の心の代弁者たる非常に重要な仕事だと思っている。しかし、第三者機関や行政から評価されるシステムもない状況では、ケアマネ個人の人間性や知識やスキルがあまりにも偏向して患者に家族に提供される現実を、今更ながら危惧している一人なのである。
もちろんだが、驚くほど素晴らしいケアマネがその多くを占めていることに異論は無い。
そして、幸福とは何だろうかと改めて考えた。
そんな夫婦の中をとあるケアマネが引き裂いた。理由はBさんの認知がこれ以上悪化するとA施設では見ることが出来ないのだからいい24時間介護の施設を紹介すると。A施設は24時間介護では無いけれど、それくらいは職員の献身的努力でカバーできていた。何より仲のいい夫婦が一緒にいることが、余生にとってとても大切だと認識していた。
しかし、ケアマネはこの状況を家族さんには言わず。事もあろうか「もう見られない(介護できない)のだから仕方が無い」と嘘を告げた。家族さんはそれを鵜呑みにし「別の施設に移ります、ご迷惑はかけられません」とA施設に言ってきた。そんなことはないのですよと幾度も相談の機会をもうけたが意思は硬かった。奥さんは毎日涙した。夫婦お互いに大変なストレスを抱えたかもしれない。
ここで問題なのは、家族さん、A施設、ケアマネ、この3者の情報共有がどこかで歪んでおり、A施設にとっても驚きだったが、ケアマネがなんと言って夫婦を引き離したのか知るよしもなかった。情報の共有がうまくいっていなかった事を皆反省しなければならない。
うつられたBさんは、次の施設では、今までほぼ通常食で徹底した口腔ケアをしていたが、食のテクスチャーがきざみ軟食に。そして程なく、今まで発症しなかった誤嚥性肺炎で入退院を繰り返した。肺炎が悪化しA施設から移られて4ヶ月ほどで息を引き取った。認知症とはいえ、すぐ脇に最愛の妻が不在する悲しみから来るあきらめだったのか。かつての状況を知るA施設の職員一同、大変な驚きと大きな悲しみだった。
このケアマネは「居宅療養管理指導」を拒否する。口腔ケアを介護サービスからはずそうとする。何か知識とスキルに不自然な部分があるのだがそれでも立派なベテランケアマネなのである。釈然としない。
別のあるケアマネは在宅診療をしている現場でドクターにこういった。「いつまで治療をしているの?早くその歯を抜いて入れ歯じゃダメなんですか?」そのドクターは開いた口がふさがらなかった。入れ歯じゃダメだから残存歯の治療をしていると言うことがわからないのか。怒りより虚脱感が襲った。
また、ある介護現場では小さな訪問診療歯科治療ミスが起こった。誤飲したものを内視鏡で取り出すところまで行った。内視鏡の操作の不具合で出血が起こり入院となった。その患者の担当ケアマネは、歯科の責任だと怒り、内視鏡の問題ではなくそれに付随して引き起こされた入院治療費を払えと歯科医師に迫った。そもそもきっかけは誤飲かもしれないが、出血は歯科の所為ではない。しかし、こんな誠意のない歯科医師は聞いたことがないと慰謝料まで請求してきた。
私は、ケアマネはケアーをマネージメントするプロとして、患家及び患者の心の代弁者たる非常に重要な仕事だと思っている。しかし、第三者機関や行政から評価されるシステムもない状況では、ケアマネ個人の人間性や知識やスキルがあまりにも偏向して患者に家族に提供される現実を、今更ながら危惧している一人なのである。
もちろんだが、驚くほど素晴らしいケアマネがその多くを占めていることに異論は無い。
そして、幸福とは何だろうかと改めて考えた。
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