日曜日、くれなゐ塾の内藤先生をお呼びして、HERZ会特別講演会を開催した。参加者は30名弱と寂しかったが、それでも氏の熱い思いを皆間近で感じる事が出来たのではないかと思う。氏のお話しする内容は、以前から、私の感じてそして危惧しているここ10年以上続く流行のハウツーセミナーではない。午前中のお話など、とてつもなく広い医学的裾野を基礎の面から広く理解してもらうことでそれを咬合という問題にリンクさせる。
まさにSLAVICEKの人族以前からのHomoHabillisからの普系など、初めて聞く先生方にはピンとこないかもしれないが、発生学的考察から何故人はこういう咬合になったのかという思考の中、そこに咬合のそもそもが隠れていた。
ここからは、咬合で一番重要なブラキシズムに関する私的持論だけれど、、、、
人は武器としての顎口腔系の機能を捨てた代わりに言葉を選択した。大脳は言葉を作り言葉は大脳を作るとSLAVICEKは言ったが、まさにそこが重要だろう。武器として必要だった時代、生き死にに直面するストレスは非常に大きい。その時カテコルアミンを大放出させ戦い、そして命を守るのだ。
しかしサピエンスは言葉を選択した。言葉を選択したが為に得た様々な思考ストレスは身体ストレスと同等に扱われ、旧システムだけが残った。しかし、マネージメントできない事態が起こる。なぜなら戦いがないから。血中の戦う物質カテコルアミンはその濃度を増し、自己を攻撃し始める。その状況を大脳は回避したい。回避のための近道は筋組織の収縮と緊張に伴う微小血管の虚血再潅流。発生学的背景から大脳からの自立命令が唯一可能な咬筋群に筋収縮緊張弛緩の指令が飛び虚血再潅流が起こる、カテコルアミンの消費と供にスーパーオキサイドラジカルの出現を見るのだろう。局所における活性酸素の出現でその補償的脳内物質のドーパミンが拡散する。気持ちが良いのだ。
単にブラキシズムがストレスマネージメントと言うには事が重大。しかし、ブラキシズムのイベントの回数と強さが、どういう顎位で起ころうが「気持ちが良い」事が重要だろう。咬合を崩壊させるブラキシズムに対して、シーケンシャルやKNガイダンスでも、限界がある。負けない咬合と供に、ブラキシズムの原点をもっと探って様々な局面からアプローチすることの重要性も理解したいものだ。
内藤先生のお話の中に、ストレスマネージメントだけではないブラキスズムを誘導するかもしれない脳内物質のお話があった。まだ私が勝手に書くわけにはいかないが、非常に面白いアプローチだと思った。先が楽しみである。
さて、その咬合がきちんと理解されていない現状でのインプラントの狂気は、凶器に匹敵するだろうという論は、やや乱暴かもしれないが外れてはいない。なぜなら、「おれおれ」インプラントが横行し始め「私がやれば問題ない」と「こうすれば問題ない」いう非科学的な施術が注目を浴びたりするからだ。医療に100%が無いにもかかわらず、そして咬合理論が完成されているわけでもなく、あくまでも10年経過したから15年経過したからだけで全てを判断するのは、その先が見えていない証拠なのだろうと思う。
インプラントは素晴らしい治療法であることは間違いは無いが、その選択とリスク判断が将来の健康に繋がるというのはさすがに言い切れるものではないと考えている。インプラントに関する歯科医師の勉強不足はもってのほかだがそういうことではない。
ある、都内の知らない先生がとあるインプラントセミナーでエイジングの問題でこうも言った。
「金がないなら最後まで面倒見る必要はない」
ないならないでなんとかするシステムを作るとか、まるで倫理的発想がない、ただの米国かぶれのくだらない歯科医師が多すぎる。
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