6月 19, 2023

4年ぶりの顎咬合学会終わってからのマティス


 顎咬合学会は開業医のお祭りのような学会だと思ってかなり経つ。いつものように偉そうに4年ぶりにオープンで開催されたこの会を考察してみた。参加人数は3000人を超したという。ある意味凄い。

自分のブログを検索してみると、2013年で学会では、何故かまだ殆どプレゼンのないデジタルを、自分で数年後には流行するだろうと予測していたり、2016年あたりで「考える会」になって良かったとか2018年でまた「ハウツー会」で、つまらない会に戻ったねとか、一緒に批判(笑)反省会をした先生方と東京の下町で議論していた。始まり当初、佐藤貞雄先生が大会長の時は、難しかったけどとても面白かったとか、名前は伏せるが某大会長の時は、学会と言うよりはビジネスセミナー乱立だなとか(笑)。

移動関係で初日の午前中の講演は聴けなかったが後でヒマなときにビデオを見てみることにする。ペリオが基調講演というのは毎度違和感がある。自分の中ではこれこそがメインポジウムとばかり午後の一発目で「咬合学」。保母先生がどんな思いで、カテゴライズされていない顎咬合という学会をスタートさせたのか、多くの反対を押し切って作ったとか思い出しながら、やはり凄いなぁと感心する。そして咬合、ナソロジー、スラバチェック、等など、オーストリアナソロジーを基調とした話は、これこそこういう話を皆でディスカッションしなきゃ等と漠然と感じていた。

さて、結構前に座っていたので、後ろを振り返ると、、えっ!と言うくらい人がいない。しかも若い先生が極端に少ない。ここを聞かなくて何を聞くのだ?なるほど咬合がわからずともMGSが出来れば良いと勘違いしてるのか、咬合がわからなくてもペリオコントロールが出来ると思っているのか、インプラント後にCMSDなら口腔外科に送れば良いとか、まあ、好きにすれば良いが、患者は不利益を被る。咬合をキチンと理解してこそのインプラントやペリオや補綴なんだと覚えておいてほしい。開業医はスーパー臨床医たる、スーパーGPじゃなきゃ。だから、2日目は誰がなんと言っても、朝から宮地先生の話はメインポジウムとして絶対に記憶するべきだ。正直10年ぶりにお話を伺って、多分同じ話なのに酷く感銘を受けた。30年経過とか、こんな素晴らしい話、昨今のダメダメ米国歯科臨床では絶対無理な話だろう。

FBにちょっと載せたら、某青木先生からの書き込み。「診断に関してのコンセンサスがなく、審美、インプラントベースの咬合学は認められません。一方で機器やコンセプトが流動的だった時代の先人は素晴らしいと思います。」と。実にそう思います。混沌とした時代にアナログでも一定の「咬合」に対する基準を設けようとした探究心に敬意を払います。で、

「治療手段が思考と行為の中心をなす」歯科治療に警鐘を鳴らしていたのは1980年。本当にその通り。診断もしない出来ないで手段を決める愚かさで、しかもその手段のスペックばかりを気にする。

ここから40年も経って、まだこの会の有り様はなんだろう。構成員の問題だろうか?この会場にもあまりいなかった若者先生方よ、目的を持とう。その目的を達成するための手段を手に入れよう。手段は目的ではないのに、勘違いしているから、臨床で頓挫するのだと知ろう。顎咬合学会は果てしなく裾野が広いのだが、目的は一つ。その根幹を成す咬合学という思考回路にドンドン飛び込むべきだなと思った。

咬合のような経年的変化に対応する基礎となる感性は、マティスのように死ぬまで変化を求めるアーティストの感性に似ているなと言うことで、時間をぬって東京都美術館にマティスを見に行った。やはり感銘を受けたが、経年的改革変化と列外歯的視点(私の造語)を探求する高木画伯の方が、、上のような気がした(笑)。

考察がじじ臭くなってきた(笑)。


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