10月 29, 2017

イタリア ネオスリンク参加(2)

NEOSSはCAD/CAMに普通に力を入れている。だから、インプラントに加えて別セクションでデジタルソリューションを構築している。Mr.Engmanが今スピーカーだが彼がいなければ今のNEOSS はないだろうな。元ボルボの技術者でその後ノーベルに移りタイユナイトがいやでノーベルをやめてNEOSSを立ち上げる原動力になっている。



このセクションで一番今驚いているのはScanPegだ。ヒーリングアバットメントの上に直接差し込める。この発想は面白いし凄いと思う。それをイントラスキャナーで直接スキャンすればストラクチャーはもうできあがり(笑)。と言うことは、うちにあるオムニカムが早いところオープンソースにならないとどうしようもないか。他に買う予定ないし(笑)。


ここだけの話だが(笑)NEOSSはGöteborgのDNAを見事に引き継いでいるので、ドライバーはもちろんスクリューの径やスレッドの数とか一緒。おまけに私が多用するノーベルのマルチユニットとか実はそのまま使えたりする。もちろん角度をつけたいときはヘックスアダプターを装着して見かけ上のエクスターナルヘックスにすれば角度付きのマルチも使用可能になるから、うちではこのままPIBとなるわけだな。
しかし、話は戻るが、このスキャンボディはホントに秀逸だ。


ところで、通常のインプラントのプレゼンではAOでもEAOでもましてやICOIなどでも、オクルージョンの話がとても弱い。
BRXがパラファンクションだと言って聞かない(笑)。今、ドイツのDT・Mr.Heibachのプレゼンでアスリートの背面の微妙な変化とオクルージョンによるtherapeutic posisionの検証を行っていたが、さすがヨーロピアンナソロジーのエリアだなと感心した。ただインプラント埋入したってだめだろうという示唆も含めてこういう研究はやはりこのエリアかなと(笑)。何よりもOPを重要視するあたりまさしくという感じだ。

最後に、アジアパシフィックの懇親会が。来週東京で会いましょうの約束で記念写真をぱちり。社長のMeredithとEngmanと一緒に。ごちそうさまでした<(_ _)>。








10月 28, 2017

イタリア ネオスリンク参加(1)

Neoss LINK team days Innovation in Practiceに参加。パリ乗り換えでナポリに深夜到着。翌日車で遠回りして(笑)ソレントに入った。イタリアは飯が美味い。特に南は美味い。一次産業や自動車工業が盛んでこれだけ食い物が美味くて各所のハードのデザインが秀逸で国全体が遺跡で石の歴史が半端なくて素晴らしい国なのに、先進国中世界一泥棒(スリひったくり詐欺含む)が多くて時間にルーズでとても不思議な国だ。知っている人は知っているだろうが、駅のそばとかとてもやばくて夜とか一人じゃ歩けないが、田舎に行けば行くほど素敵な人々に巡り会うようで、そこが魅力なんだろうか。

さて、(参加者360人中日本人ドクターは私を含め6〜7人ほどらしい)の今回のミーティングは3つのセクションに分かれており、メンブレンセクション(NEO GENまだ日本未発売)とプロアクティブセクションとCAD/CAMセクション。
さて、初日のメンブレンセクションはかつてのチタン強化型ゴアテックスを彷彿とさせる。この三層構造と操作性は必ずほしい人続出だろうと思う。スイスのDr.Grunderも今年のAOで再度言ってる。チタン強化型メンブレンを使いこなせとね。早いところ日本の薬事を取得してほしいな。Prof.Dahlinの話でなおさらほしくなる(笑)。GBRの話だけでもGöteborgの話満載です。
あれ、このあいだ高木先生達と行ったGöteborg研究室の部屋じゃないか?(笑)。

2つめのセクション、プロアクティブの話も、まさしくGöteborgの意志を根強く感じます。Prof.Sennerbyのかつてのインプラント、そう、マシンサーフェイスのブロネマルクシステムからの基本的哲学を様々なインプラントに当てはめ検証しそしてプロアクティブに帰結する本当の理由は、すでに半世紀経過した歴史を顧みた上でのインプラントの良心のような気がする。
最近のいけいけどんどんのチープなシステムが、私は好きになれない理由の一つがこれなのかもしれない。たとえばストローマンなどのティッシュレベルなどのセーフティデバイス一つとっても、それを省くから安く簡単になるだけ。そして、実はインプラント施術の条件として、結局は簡単に最初の状態(ディフォルト)に戻る事が出来なければエイジングを重ねれば重ねるほど患者もドクターも酷く苦労する可能性がとても高いのだ。私はそれは避けたい。そして避ける方法を次に伝えていきたい。

Dr.Romanoのケースだが、このNEOSSインプラントの他にはないセルフタップの特徴が現れている面白い例としていくつか紹介された。サイナス側の上顎厚み骨が5ミリ以下のケース。超親水性とセルフタップでできる骨片が根尖に向かって行く特徴を応用してサイナスをあげた所に何も入れない。昔から確かに時々聞く話ではあるが、数ヶ月経過するとだんだん骨ができてくる。プロアクティブの場合その量がすごいのだ。近いケースで是非トライしてみたい。ちなみに、イタリアのDr.Sgaramellaのクリニカルケースは非常に親近感を覚える。そう、その歯は、残したいよね。でもその提出歯やアマルガムそのまんまか(笑)。で、それはそれだが、米国なら絶対抜歯だな(笑)。

つづく(笑)




10月 17, 2017

ペコロスの母に会いに行く

久しぶりに舞台演劇を見た。その昔、八戸は高校生レベルでも舞台演劇が全国レベルで盛んだったはずなのに、最近は何か、なりを潜めていて寂しい感じがしていた。八戸では僅か一日の講演なのだけれど、すっかり有名になった「ペコロスの母に会いに行く」である。久しぶりに見る舞台であるにもかかわらず、舞台を埋め尽くす俳優さん達はどの方だってベテランで、素晴らしい演劇を見せていただいた。

原作が素晴らしいのは言うまでもないが、構成が素晴らしい。そして何より「認知症」という、ともすれば暗くなりがちな話題が底抜けに明るい。ぼけることは悪いことばかりじゃないねと言うスタンスはとても介護の現場を元気づけるのだ。

うちのスタッフがこんな事を言っていた。
「認知の方の世界観はとても驚くことが多い」
「そしてどこまでも不思議な世界でとても癒やされる」
のだそうだ。
「そんなところで仕事が出来ることはとても幸せで楽しい」
のだ。
涙が出る。なんて素晴らしいスタッフなんだろう。

劇を通じて一貫しているのは「認知は誰でもなるしすぐそこに来ている」と言うこと。だから「気が触れた」と引くのではなく「何か楽しそう」と寄っていく事が大切なのだろう。現実世界と黄泉の世界の中間とでもいうのだろうか、「あなたの知らない素敵な世界」とでも言えるのだろう。その知らない世界が、あるときは底抜けに楽しく、あるときは果てない過去の記憶だけがよみがえり泣き、あるときは独特の「認知な世界観」で人を鳥瞰する。エイジングを重ねる人間とは本当に素晴らしいのかもしれない。素晴らしい演技で思わずうならせてしまう藤田弓子さんの存在感が秀逸なのは言うまでもないが。

劇を見ていてふと思う。自分ならどうしようと。例えばそれは恐怖であったり、例えばそれは悲喜劇であったり、そしてそれはもうすぐそこに来ている現実として今自分には何が出来るのだろうかと。幸い私の両親はすこぶる快適な老人で有り、そうなりたいとも思っているが、いつ何時どこの扉が急に開くのか誰にもわからない。心だけの寄り添う問題だけではなく、どこまでも経済的な心配などがついて歩く以上、「終活」ではなくその前に「認活」をいかに快適に楽しく乗り切るのか家族や関係者との本気の寄り添いが強くなければならないだろう。
これって、今まで自分がどんな生き方をしてきたかと大いに関係があり、後ろ指指され組、、では、誰も振り向いてはくれない。

これから名古屋公演に続くよう。可能な限り多くの方に見ていただきたい、本当に素敵な演劇でした。今までもファンだった、市ノ瀬のおばちゃん(笑)、、いや、藤田弓子さんや、本物の俳優田村亮さん、ワハハ本舗の佐藤さんや、いつもひょうひょうとしている素晴らしい酒井さんや素敵な木村理恵さん、そのほかもう盛りだくさんの素晴らしい俳優さん達の素晴らしい世界を是非!超お勧めです。







10月 16, 2017

本当に大丈夫なのか??

新しい情報が入ってきた。ペリオの治療で10枚法のレントゲン撮影をした場合、1枚毎に診断所見を書くようにとの指導だそうだ。当然全体診断所見は書いてあるのだと思うが、それではだめらしい。10枚から14枚法まで全額撮影という区分に変わり、診断料は統一されているのだが、デンタル1枚とったときと同じ診断料をもとにの所見という根拠か。明らかに間違っている

そもそも、個別指導など不文律があってはならない。だからこそルールがあるにもかかわらず、それを自分らしく(笑) コンフュージョンする技官などいて良いわけがない。しかもそのかき混ぜ方が技官毎に変わるのもどうかと思う。また診療側も指導がいやだからとそういうことに暗黙の了承をして良い物だろうか。この戦わないスタンスが、今まで何十年とgovernment insurance としての歯科の立場を悪くしている最大の原因なのではないかと思っている。

臨床現場を知っている技官ならまだしも、臨床の経験がほとんどないか、全くない、あるいは例えば小児歯科しか知らないとか、そういう方がGeneralな指導など出来るわけがないもちろん仕事として青本を丸暗記は出来よう。しかし、それが現場とどのようにリンクするのか想像できない人に指導は無理だろう
そこの所を来月厚労省に出向いて話してこようと思っている

10年前から私は言い続けている。平和ぼけした日本では、政治も経済も、そしてこういう仕事に直結した行政関連の指導でも、戦うことは悪だと教育されてきた。だから、なあなあの組織が後を絶たず、そういう所が例えば外資に食われてきているのを幾度となく見てきたはずなのに、それでもまだ戦うことは悪なのだと言われる。

今回もまた言われた。「こんな事を書き続けていると行政に目を付けられて、先生は指導監査が当たるよ。いいのそれでも?すごいなぁ。。」・・この体質が、歯科を奈落に落とした最大の原因だと何度も言っている。

戦うためには、武装が必要だ。私たちのその武装は「理論武装」に他ならない。我々が理論武装しないから、こういう人が平気で人に指導するシステムを作ってしまう。リスクマネージメントの話を幾度となくしてきた。責任思考ではない。そういう技官が生息できるのは何故なのかという原因思考に転換しない限り、この先の未来もまた同じような行政指導が行われるのだ。明らかに臨床が不備なだけではなく、加えて理論武装できない歯科医院もまた、ただただ揚げ足をとられる。こういう歯科医院もまたこの手の技官と同じく酷く問題なのだ。

歯科医療は自費も含め(僅か)3兆円前後。獣医+ペット産業で5兆円。薬局で5.5兆円。医科に至っては当たり前だが30兆円となる。パチンコ業界は衰退してるとは言え20兆円産業。歯科との馬鹿比較でいつも登場する、わずか30年足らずのコンビニ産業は10兆円に届く勢いなのだ。

国民の未来を大きく左右する歯科のこの為体につけ込む「無知」こそが最大の問題で、その無知は行政にも歯科医師サイドにもはびこっている。

そして、ここを読んでいるだろう一部の技官達(何故かあなた方のことがネット上に流れてますよ)に一言。くだらないマスゴミのように私の文言を切り貼りして仲間内で大騒ぎする品格のなさが、これからの国民医療にどれほどのことなのかしっかりと考えていただきたい。私を敵だと思うのなら戦うが、私は敵ではない事が理解出来るだろうか。






10月 10, 2017

社会保障と患者のニーズが一致しない理由

都内某所で、とある秘密結社の勉強会に参加してきた(笑)。

歯科医療経営が厳しくなっていると感じる人は「患者のニーズに合わせて」という言葉をよく言うし、いや、そう言えと仕向けられているのか。医療を受ける側の要求に沿った提供をせよと言うことに異論はないが、疾病治療と再建治療を理解していない場合も多い典型的な例か。

どんなビジネスだろうと顧客のニーズを常に考えている。これがほしいなら売ってやるけどおまえの欲しいものを作るとは限らない、、、と言う職人気質のビジネスは激減しているかもしれない。顧客が何を欲しているのか、どれくらいなら対価を支払うのか、そしてその勝算がある時に商品なりサービスなりを売り出すという現代ビジネスが主流なのだろう。しかし、これを歯科のマーケティングに当てはめるのはお馬鹿?ではないのか。

歯科患者の最も求めていることは突き止めれば「歯科的疾病にならない」こと。確かに更に美しくということで審美的な治療も要求もあると思うが、少数だし正確にはこれは「医療」ではない。しかもその要求はどうやら歯科医師が作り上げている。
過激で異常な審美を求める姿勢の根本は歯科医師の妄想を具現化しただけなのだ。美しくきれいな歯は当たり前でしょといつも思うが、あえて「審美歯科」と言うからには普通の治療は余程酷いのかと勘ぐりたくなるし、、、、、というスタンスでは仕事にならないからか(笑)。

有名な大先生が学会や講演会で「患者の審美的要求は日に日に増してきている以上、こういう外科のスキルや知識は今まで以上に必要になってきている」とのたまう。で、審美に関わる自費診療は社会保障の範疇を超えるから付加価値の意味があるという。医療の種類とか質とか何もわかっていないんだなぁと、逆にその無知に感心する。おめでたい。

ある組織が行った直近の歯科患者アンケート(3000人弱、地域差不明)では、、、、、、
「保険の範囲を広げて欲しい」
「治療の説明を詳しくして欲しい」
「待たせないで欲しい」
「なるべく削ったり、抜いたりしないで欲しい」
「もっと丁寧に時間をかけて治療をして欲しい」

など、歯科医が言う「患者のニーズ」と全然一致しない。なぜなら、歯科医が上記の問題を解決しようとするなら、基本的にはビジネス色はなくなる。そう、だから社会保障なのだと言うことの理解が必要。
ちなみにこの通り誠実な歯科治療を続けると歯科医院は倒産するというコンサルもいるがそれは嘘である。誠実に取り組むからこそ患者は来るのだが、いわゆる大きな利益は出ないのだ。だから最新の設備に設備投資も出来ないという現実問題にも直面する。で、それが、ビジネスとしては方程式に当てはまらないだけなのである。医療だからである。

歯科医は「患者のニーズ」なるものを作り上げる上で、利益に余裕が出るだろうと言う予測の元に、「想像で」もしくは「狭い範囲で」考え、それを患者にセールスする。患者はそれが自分に必要か必要でないかの判断が難しい場合、今までの「信用」でそれを購入する。しかしこれは再建治療のみに当てはまる事柄だと理解しなくてはいけない。
そしていつしかそれが「患者のニーズ」として世の中を歩き出す
なんということだ(笑)。
(疾病治療のセールスこそ、医療の根幹である以上、信用損失の可能性は非常に大きいし、療担規則違反になるケースも非常に多い)  

本来、本当の「患者のニーズ」は患者が素直に思うことであり、特に歯科医療の場合、利益が出るか否かとは全く別の問題だつまり患者の「歯科医療はこうあって欲しい」という希望に対し、我々歯科医が実現の方法を考え、それを採算の取れる制度へと変革することがもっとも自然で、最も必要なことであり、そのためには医療を受ける側の患者と施す側の医療者が同じ目線に立っているかどうかも重要なポイントだろう。
ま、当たり前のことだけど(笑)。

あと、私見だが、、審美歯科をうたっているところほど審美的にイマイチなところが多いと思うのは私だけだろうか???現に全てやり直しさせた経緯もあるから余計そう思うのかもしれないが。



10月 02, 2017

なかなかな週末と10月スタート

9/30土曜日は同窓会の東北地区連合会に出席のため青森市へ。学術講演会が先でしたから矯正学講義は久しぶりだったけど、ホント面白かったです。神奈川歯科大の矯正においてディスクレパンシーケースで、抜歯ケースが全体の20%ぐらいと聞いて、少ないのは聞いていましたがさすが。通常は60%を超えますので、この差を考察するべく臼歯部ディスクレパンシー改善症例の多くの再検証論文が出てきてほしいものです。

その後の東北6県集合懇親会はさすがな盛り上がりで。先輩後輩の垣根より社会人としてのモラルが先行する我が同窓会は本当に素晴らしいと思います。さらにその後、、善し悪しは別にして、だらだらと26時過ぎまで(笑)。

日曜の朝、それなりに早く帰ってきたのでしたが、ものすごく良い天気で自転車乗ろうかなと思いましたが、風がやや強く断念。根性ありません。

さて、本日10/2月曜の仕事は午前中で2発、、おみまいされました(笑)。
診療に来た方が突然診察券を出し終えたところで、尻餅をつくように倒れられ意識混濁。直近現場にはいなかったので呼ばれて駆けつけたときには、待合室で倒れたまま村岡先生がO2とバイタル。すでに意識をやや取り戻しておられましたが顔面蒼白発汗でいったい全体何事かと思うわけです。倒れた状態からして急激な血圧低下かなと最初は思いました。

バイタルも正常に戻りつつ、なんとか、もうろうとした話を聞きますと、本日朝、胃カメラの検査で昨日から何も召し上がっていなかった。加えて検査前のグルカゴン投与を受けている(すぐ主治医に連絡し確認)。この二つで考えられることは二次的低血糖性ショックではないかと私は考え、コーヒー用のスティックシュガーを食ってもらう。おぉ、少ししたらちょっと元気になったではないか。しかし、またすぐどこか遠い世界に行こうとするので、糖分もまだ足りないし脱水も考えられたので、当院にはブドウ糖輸液がないので主治医までタクシーで連れて行き点滴してもらい、午後に元気に再来院いたしました。良かった良かった。

ここでふと思ったが、この救急処置は医療行為としてどの範囲まで私が出来るのだろうか?仮にブドウ糖輸液があったとして、点滴し回復した場合全てボランティアになるのかな。なんだかわからないからと救急車を呼んで後は任せるのか?歯科医師だが低血糖性ショックに対する可能な限り処置してはいけないのか?保健所では歯科医師の医療行為(笑)は認められないと言うが、知識があっても座して待てば良いのか?この垣根が実にめんどくさい。患者さんだけが不利益を被りそうだが。

さて、二発目のおみまいは、、、初診。レントゲン拒否、フッ素拒否、投薬拒否、その他色々拒否の素敵な患者さん。ネットで引っ張ってきた「トンでも論文」を沢山持参。何でも、歯科用X線で脳腫瘍になるらしい。自然放射線と歯科用放射線は違うと言うが科学的に違う根拠と、その作用をまるで誤解しているがまあいい。ふむふむ。フッ素で脳みそが溶けるらしい。ふ〜ん。そして、下顎の歯が以前の治療が直っていないので耳から膿が出ると言う。なるほど。よし、なんとかしましょう。

さて、このネットにあふれるネガティブなトンでも論文達を信じるのは勝手だが、現代医学を否定するなら、そもそも医療は呪術の時代世界から何も変わってはいない。医療は最小リスクを求める心の繋がりを薬物や施術がサポートしそれらは進化し続けているけれど、それをネガティブ論文で否定しては近代医学は成り立たないと言う意味である。もちろん自分の信じている近代医療だけが金科玉条だなどとおごり高ぶる気はさらさらないが。

きちんとそれら読むと、左翼的ヒステリックな批判が優しく連発し、ああ、こうやって左側の人達は放射脳になるのかとある意味感心したりする。そしてこれらは、誰も幸福にはしないし、そうなることすら期待していない。論文の中身は、ただただ否定をする根拠(ただしそれらは全て曖昧模糊・・・う〜んどちらかというと月刊ムーの世界感(笑))を羅列し自分が正しいと主張しているだけで、猜疑心をあおり全てに身構えさせ、そして読んでいる者を不幸にする内容であることは間違いがないと思う。
この人達の書いている理論や行動を守れば世界中が幸せになるとでも言いたいのか。否。それを信じてしまっている知識不足の純粋な人間を馬鹿にしているだけのような気がしてならない。