私が副会長を務めさせていただいている我が保険医協会や、保団連の中に環境部というものがあって、私は常々不思議に思っているのだが、左翼的な活動と脱原発非核運動等が一緒になって「医師として核は許せない」という医師の立ち位置からのできあがりの経緯のようだ。
しかし、要するにその崇高な意識を下々に伝えたいという偉そうな思いが見え見えで全く賛同できない。

塚は原子力問題でサヨクに「反省をした信者」として奉られ苦悩の日々を送っていたと聞く。
今年の広島の原爆慰霊祭で市長がこう言った。「世界が自国第一主義に傾くことへの懸念」、、これは面白い。原爆のような悲惨な結果をもたらしたのは「自国第一主義」であり。近年またそういう国が増えてきているという意味だろうか。

世界が一番平和な時代だった。
これはどういうことなんだろう?現在世界中でおきている民族紛争を含む悲惨な戦争は、核をちらつかせないから許せるのだろうか?北のように核を持ったばかりに米国のような大国が会談に応じるという切り札としての核は未だ健在のようだが、その背景もお互いの自国第一主義だからか。

うことなんだが、そんな国は人はあるのかいるのか?日本がそうあるべきなのか?
なんだかなぁ、、がっかりだわ。

LOHASな人達はこの方が嬉しいのだろうか。山を追われた生き物は町を徘徊し嫌われるがそれでいいのだろうか。
結局、非核や脱原発や原発推進など、人のエゴというサガをどういう形で言いつくろっているかだけの話のような気がする。求む、回答(笑)。