私は、脱原発を声高く叫ぶわけではないし、推進を強く押すわけでもない。エネルギー問題の裏には色々な嫌らしいものが見え隠れすることは、前回の六カ所問題でも書いた。しかし、それを全否定する権利も金もないし、何しろそこに住んではいない。
私が副会長を務めさせていただいている我が保険医協会や、保団連の中に環境部というものがあって、私は常々不思議に思っているのだが、左翼的な活動と脱原発非核運動等が一緒になって「医師として核は許せない」という医師の立ち位置からのできあがりの経緯のようだ。
しかし、要するにその崇高な意識を下々に伝えたいという偉そうな思いが見え見えで全く賛同できない。
子供達の将来を考えて、、とか言うけれど、手塚治虫世代の私には「アトム」の未知数の希望がまだ付いて来ている。晩年手
塚は原子力問題でサヨクに「反省をした信者」として奉られ苦悩の日々を送っていたと聞く。
今年の広島の原爆慰霊祭で市長がこう言った。「世界が自国第一主義に傾くことへの懸念」、、これは面白い。原爆のような悲惨な結果をもたらしたのは「自国第一主義」であり。近年またそういう国が増えてきているという意味だろうか。
気が触れる量の核を作っていた冷戦時代、世界中で西と東に分かれ緊張が走り東と西は簡単には行き来ができなかったあの冷戦時代、実は
世界が一番平和な時代だった。
これはどういうことなんだろう?現在世界中でおきている民族紛争を含む悲惨な戦争は、核をちらつかせないから許せるのだろうか?北のように核を持ったばかりに米国のような大国が会談に応じるという切り札としての核は未だ健在のようだが、その背景もお互いの自国第一主義だからか。
自国第一主義は国境を作ったが、ダメなのか?育った環境も教育も歴史も無視して人類皆兄弟地球家族で行けるのか?自国第一主義がダメと言うことは、他国の問題に対して死ねるかと言
うことなんだが、そんな国は人はあるのかいるのか?日本がそうあるべきなのか?
なんだかなぁ、、がっかりだわ。
さて、近隣のLOHASな人達に聞きたいのだが、これらの写真は雪がほとんど降らず日照率の非常に高い県南八戸エリアから岩手県北エリアの写真だ。休閑地なら理解出来るが、森林を伐採して今次々と太陽光発電が熱を帯びてきている。ここ数年ですごい面積になる。脱原発と直接関係はないと言い切れるのだろうか。
LOHASな人達はこの方が嬉しいのだろうか。山を追われた生き物は町を徘徊し嫌われるがそれでいいのだろうか。
結局、非核や脱原発や原発推進など、人のエゴというサガをどういう形で言いつくろっているかだけの話のような気がする。求む、回答(笑)。
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