日本歯科医師会(以下日歯)の専務理事の八戸における講演を先般の土曜日拝聴した。非常に面白かった反面、一定の違和感は感じた。これはいつも保団連中央行動でも感じる違和感である。田舎者が感じる都会への違和感を無視してはいけない。
日歯の功績やあるいは不祥事は、全て会員のためと理解している。あるいは社会的に非常に重要であるところの歯科と言う職業に対する認識や重要性や社会性を、広く国民に認めてもらうためにもとても重要な仕事をしているだろう。政治的背景の重要さは酷くわかっているが、どういう形で組織が関わっていけば良いのか、実はその歴史が答えを持っている。
昭和元年、内容詳細や細かな経緯は割愛するが、医師会に習い歯科医師会も当初英国のように、人頭制における保険における診療報酬改訂を行った。しかしその額は医科の年間約7円に比較すると年間約68銭といかにも少なく話にならない額で、日歯は政府に対して増額を申し出たが無視されたため日本各地で保険医における歯科保険診療の拒否が相次いでいる。このように医科に比較して歯科は昭和18年の診療単価決定の際も約半分の金額であり、この問題は今なお続いている。このことも、日歯専務の講演の中にもあったが、その後の近代歯科への道の前進となる補綴の保険外しなどがすでに昭和初期から議論されていたのは驚く。
そんな経緯の中、日歯の役割はややも影を潜め、戦前労働者運動に近似した開業医運動が起こってくる。しかしその後時局は大東亜戦争へ傾き始めた。そして、戦後GHQは医師会歯科医師会日本医療団の解散などに関する法律を施行し、これらはいったん解散を命ぜられ、新たに、学術団体であること、自由意志による任意設立であること、入会は強制加入ではなく任意加入にすること、の3つが条件として盛り込まれた。なぜなら、GHQに言わせればこれら医療団体は明らかに戦争に荷担していたとの責任からである。
加えてこの頃、医師歯科医師に対して突如事業税が課税されている。この時医師会を鞭撻しながら賢明の反対運動と政治折衝を繰り広げた大阪保険医連盟が、後の開業医保険運動の源流となり今の団体連合のファウンデーションとなり得るわけだ。結果この時から、開業医に対する事業税は撤廃され時の日本医師会歯科医師会の会長が、その功績を認め当時の保険医連盟(現保険医協会)を行政の一部門に押し上げようという動きすらあったのは驚きに堪えない。
これらのことからも、なるほど現在の保険医協会が左翼的運動を祖として活動を呈していることに何ら不思議はない。しかし、私は個人として20年ほど前からの明けても暮れても政府批判に伴う医療問題から切り離された余計な左翼活動には全く同調は出来ない。
話を元に戻す。違和感とは地域差のファクターである。歯科医師の需給問題は、地域バイアスを乗じて計算して頂きたい。地域の若い先生方が連携して地域医療の経営や人材保証を行う話を懇親会で直接聞いたが、各自そんな暇はない。行政サービスに積極的に参加する暇もないほど人材が不足している。
そして、歯科医師会は何故か保団連歯科部会を相手にしていない向きがある。なぜなら前述のように余計な左翼運動が目に余るからだろうと思っている。素晴らしい分析力と膨大なデータを持ち合わせていながら、日歯のように直近の歯科医療問題に有効に利用できない最大の理由は、こういう左巻き問題で政治に食い込もうにも端から相手にされていないからなのだと、国会行動に参加する度に痛切に感じる。戦後開業医運動のような事はもう出来ないのだろう。
だから、、、日歯の専務の歯科における将来性のお話が、別の意味で胸にしみた。
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