60歳にしてやっと計画実現したマイホームの夢は61歳の誕生日にできあがった。ある意味嬉しいが、今までの超近距離通勤はやはり何物にも代えがたい気もする。そして80歳まで組んだ住宅ローンもまたそれなりの励みになると言うか、それまで仕事しろよと自分に言い聞かせる口実にもなった。追い打ちをかけるようにコロ助がボディブローを食らわせ、新生活の環境は苦難から始まったが、いつかは終わるという希望はある意味無理路好都合なのかもしれない。もう下落することはないと信じて。
色々な物を片付ける日々。仕事始めや仕事終わりに常に何かを片付けている。そして振り分け、必要、不必要、不明、この3つのカテゴリーで数ヶ月を過ごす。特に山となる本が捨てられない。最中に読み返してしまう。そして「不明」に選択。これでは何も断捨離できないと思っていても、なかなかそうはいかない。
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「新しき仏壇を買いに行きしまま帰ってこないおとうとと鳥」
「マッチ擦るつかの間の海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
う〜ん。寺山、生まれるのが早すぎたなぁ。これらの歌はまさに「今」ではないかとつくづく感じてしまう。コロナを背景に社会が浮き足立ち、無意味な攻めを正義とばかりに振りかざし、あげくの果てはその意識の隙間に見え隠れする闇。なんか、もう一度真剣に読まなければと思った。そして彼に短歌を指南した私の叔母の深い思いがまた、読みを深淵に導く。
私は今回の新居引っ越しは、COVID-19 movingと名付けようと思う。認知が入ろうと死ぬまで忘れないだろう。そしてこの有事とも言える社会の中で、どんな人間がまともでどんな人間がまともではないかを見極めるいい機会だと捉え、普段にも増して発想を180度変えてポジティブに捉えていくからこそ、この試練の意味もまた深さを増すのではないかと。
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