オクネットという配信記事で紹介していた「エビデンスの落とし穴」という本を読んだ。とても面白い。
何年か前のフロリダの学会で、高木兄ちゃんの友人でもある大御所のジャック・クラウザー先生が「エビデンスが多過ぎんだぁよ」という発表をしていた。会場は笑いに包まれていたが、まさしくその通りと数年前からから感じていた。
その理由として一番気になるのが、国内だけではなく海外も含めても様々な症例発表を見ていると、近年、そのエビデンスはどこどこにあるのでこうしましたという、本来自分で考察しながら何かしらの工夫(無謀な工夫ではなく、こういうエビデンスがあるからこそそれを基礎に私はこう考える)をこらした症例が激減しているせいかもしれない。これは非常につまらない。えっ?マジ?なんで?あ〜そんなんだ!というプレゼンが激減している。
ジャッククラウザー先生の話では、例えば一つの企業寄りに都合の良いエビデンスを次々作るんじゃないよ!と言う主張だったように感じるが、私の語学的理解不足なら謝ります(笑)。
今回のこの本も、相反するエビデンスが何故に次々生まれるのか、その背景を考察していて実に面白い。本来EBMの発祥は米国にある。民間保険会社が「こんな処置にお金を払えるわけないだろ、先生が適当に考えた処置なら無理。でも、エビデンスを持って来たらお金払う」から発生した。まあ、妥当な考え方だと思う。科学としての医療行為には純粋に再現性のある証拠が必要で、患者が不利益を被ってはならない。当たり前なのである。その証拠を元に知識と技術を患者に還元する。当たり前なのである。
しかし、世の中には「私がこうすればこれは治癒します」という風説は後を絶たない。なぜなら、今の医学では解決できない事がまだまだ沢山あるからだろう。それが度を過ぎると、「壺」を買って拝めば治癒する所まで行く。そしてこれ見よがしに「壺」の効果の証拠が捏造されるのである。
まあ、いずれにせよ、エビデンスにはランクがある訳で、高いランクは信用できて低いランクは信用できないけれど、どれを信じるかはあなた次第になってしまうほど、「多すぎるんだよ」なのである。
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