かなり前にブログかFBで紹介したことがあると思うが、昨夜この夢をまた見たので備忘録。
小学校に入る前だろうか。いつも同じ夢を見ていた。石畳の岸壁から出港する大きな帆船を見送っていた。帆船の後部が多分船長室のようになっている、映画グーニーズで見る海賊船のような帆船だ。遠くに行くまで見送っていた。そして目線がとても低い。子供なのか、いや、動物なのかな、犬目線だろうな。見えなくなると、とぼとぼと岸壁にならんだ石造りの家々の間の石畳路地を抜け、右に曲がると小さな教会があり、その入り口に座っていた。とても腹が減っている。
この夢を何度も何度も繰り返し見ていた。
私の初めての海外旅行は、飛行機に24時間乗って到着したアテネだった。27歳の時だ。せっかくだからとエーゲ海クルーズに申し込んだ。日帰りクルーズなので近場の島々を回る。その中で立ち寄ったイドラ島という島に上陸。背筋に何かが走った記憶がある。今から36年前だからまだ近代化の波は押し寄せていない小さな島なのだが、桟橋をおりて石畳を散歩していたとき急に何かの記憶がよみがえった。そう、子供の頃夢で見ていた景色なのではないか。高鳴る心臓の鼓動を押さえ裏路地に向かう。右に曲がる小さな路地を進むとなんと教会があるではないか。今だからこそGooglemapで調べられるのだが、その教会は「Dormition of the Mother of Lord Hydra Orthodox Cathedral Church」と言うらしい。新しく大きく建て替えられた?ものの数百年の歴史ある教会のようだから記憶と一致するかもしれない。ただし私の夢の中では貧相な小さな教会だったので感覚は違うのだろう。そしてそれだけではなかった。路地という路地、記憶と地図が一致する。ここを曲がれば道が二股に分かれてとか、ここをまっすぐ行くと山の方に向かうとか、この角を曲がると行き止まりとか、それはそれは驚いたものだった。
誰しも、こういう経験は少なからずあると思う。しかし、デジャブとは違う夢の記憶なのだからなんとも不思議な思いなのだ。30年ほど前、ウチで導入した医療機器のエンジニアが実は深層催眠が専門職で、やってもらったことがある。真偽はさておき、私は生前、支那で鉄道工夫として働いており、理不尽な不慮の事故で死んだのだそうだ。なるほど支那が大嫌いなわけだなと思った。これは比較的新しい過去であり、掘り下げて行くとそのまた昔は犬だったとも言われた。なぜなら深層催眠が深くなるにつれ、犬のように唸るかららしい。合点がいく。犬だった。工作員のような狗ではないので。かつて大はやりした江原何とかなら、ヨーロッパの貴族でとか何とか良い感じの生前を言ってくれたかもしれないが、実に犬なのである。
続く
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