9月 29, 2025

時の流れはなぜか早い 喜寿奥寺先生への感謝を込めて

 尊敬する簗瀬先生のタイムラインでわかった(笑)が、王子の奥寺元先生の喜寿ならびに講道館七段のお祝いの会があったようだ。加えて東京形成歯科研究会45周年記念大会が執り行われ、私は会員ではないが30年以上前からその活動を奥寺先生から聞いており、これだけの長い間本当に素晴らしいことではないかと思っている。私が主宰するHERZ会も故近藤先生(月星先生の阪大同級生)から引き継ぎスタートからは40年以上の歴史があるが、何かのサティフィケートを出したり、冊子を刊行したりしない純粋なただの勉強会なので、まさに紆余曲折はかなり経験してきているけれど、形成歯科研究会も趣は違えど45年の歴史とか状況はなんとなくその努力は理解出来る。

奥寺先生はある意味同郷であり、かなり昔からご縁があり、それは私が神奈川歯科大学に入学する前からの事になる。プラークコントロールという言葉を米国留学後日本に始めて紹介したご本人で、日本の歯科医学的にも大きな貢献を成されていると聞いた。私の父は三沢で教員だったが、奥寺元先生とは故知であった。

私がインプラント治療をスタートしたのが、開業とほぼ同時の1988年で、メインにIMZとブローネマルクタイプインプラント(3i)であった。奥寺先生がその話を聞きつけて1991年頃ICOIという国際的勉強会というか学会に入ることとなった。口腔インプラント学会より先に入っている。東京形成歯科研究会の誘いもあった記憶があるけれどなぜか入会はしていなかった。1996年頃ICOIのサンアントニオでの大会に誘われて、サンディエゴでのカルシテックというメーカー見学を経てを経由してサンアントニオに行ったのが私の初めての海外学会参加となる。そこで始めてカールミッシュ先生やメファート先生と知り合いになる。今ではどちらももう故人だ。後に、メファート先生とかウチの診療室まで奥寺先生が連れてきてくれたし(笑)。私はその後ドライバーとして秋田のインプラント学会までお送りしたし。


前後するが、2000年には奥寺先生とともに現在神奈川歯科大学教授の河奈先生達なども参加して、ドイツのマインツ大学(河奈先生の留学先)やフランクフルト大学などへ研修に向かい、発売したばかりのアンキロスの研修を当時のデグサで直接受講し、開発の先生方ともお話をさせて頂いた。とても有意義な海外研修をさせてもらった。その足でベルリンのICOI大会に参加した。これを契機に、私の海外研修熱は高まり、次男坊のスイスへの7年に及ぶ中学高校留学をはじめ、年に2~3回ほど海外研修や学会に普通に出かけるようになった。

留学したわけじゃないし、海外の先生がメンターになっているわけでもないが、現場で知り合う海外の開業医の先生方の本当の現状を聞くのがとても楽しかった。エージェントとして参加していたサンフランシスコの柳氏との関わりもとても重要だった。その後も、ドイツハイデルベルクのスティッグマン先生経由で、レンタカーを借りスイスの次男のところに寄ってからストラスブールのICOI大会に出席したり、それはもう充実した研修だったのです。これとて、奥寺先生がいなければ、私はなしえなかったイベントなのでした。そうそう、若くて元気な、今では天下の玉木先生も御一緒しました(笑)。ICOIのパシフィック大会で演題を出したいと奥寺先生に相談したら快く引き受けていただき、海外の先生方を前に自分の症例を発表させていただいたのもとても良い経験になったのです。要は、奥寺先生の存在が無ければ、これほど海外の研修や学会に参加することは、まずあり得なかったんだろうと、今更ながら思うし、感謝の念で一杯なのである。

そして、その繰り返される海外研修の中で、同じ熱烈スワローズファンであるところの山形の高木兄ちゃんと昵懇の仲になり(笑)私の海外研修熱はさらに深淵を深めることとなる。高木先生の知り合いの海外ドクタールートは果てしなく、ただただ驚くばかりだった。高木先生のメンターのスマイラー先生とも知り合いになれたし、アランガーグ先生のマイアミでのIDA学会とカダバー研修の時、君は日本から来たのか?ドクター高木を知っているか?と声をかけてくれたのはスーパー技工士のレンツォ。高木を知らなきゃモグリだと言われた(笑)。勿論知ってるよと意気投合した。ICOIもそうだが、AO、EAO、ADI、スマイルクラブ海外研修等々、その後も高木先生との海外研修は実に楽しい勉強の連続で、私の歯科医師人生の半分以上をとても有意義に過ごさせていただいた。

とどのつまり、奥寺先生と出会わなければ、これらの他ではあまり経験することのない経験の数々は生まれなかったのだろうと、今更ながらしみじみと感じ入るのです。



9月 28, 2025

歯科技工士問題とは?


 9月24日、朝から第2議員会館に向かい保団連主催の歯科技工士不足問題に関する懇談を厚労省医政局メンバーと。厚労省側の出席者の名前は控えます。マスコミ非公開だったので。で、保団連側の出席者は、S協会の何とか先生が司会で(しらん人)、こちら側だけのシナリオがあるみたい。しかも厚労省はこう答えるんじゃないかという予想発言と、こう答えたらこう言う質問で追い込む、、みたいな(笑) バカですね。意味ないじゃん。しかもこのシナリオ的外れもいいところ。技工士問題に関して何回やってもこれじゃあ、いい提案ができるわけがない。なんのための懇談よ。ガス抜きじゃ無いんだから。こういう部分でもうバカすぎて話にならない。

技工士学校の校長や技工士会の会長や、なぜなんだろうという出席者にちょっと辟易。だって、みなさん自分の言いたいことを一方的に機銃照射して相手方の厚労省とキャッチボールにならない。こりゃ確かにこの30年なにも解決しないわけだ。そもそもなぜ技工士問題が表に出てきて、これが30年もの間解決出来ずに放置されて、なおかつ現症として技工士がいないと。余談だがH協会の何とかという先生(しらん人)はなんか心を病んでいないかしら。仕草話し方がまさかのADHDライクで厚労省側も困惑しているのが本人はまるでわかっていない。これも話にならない。

まあ、とにかく時間になり、この懇談を紹介介在してくれた代議士は厚生族では無いけれど、最後に苦言。これを私になりにまとめると「ちょっと、なに言っているのかわからない」という質問でした。大の大人がこれだけ集まって恥ずかしい。ちなみに私が提案しようと持って来た山形の佐藤先生の緊急案は司会者のS協会の先生の独断で破棄されました。言いたいこと(提案では無く文句)を時間を守らず言い続ける人を制止も出来ず、逆に貴重な提案を出さない、、、やはりバカですね。私は何しに来たんだろうと自問自答。佐藤先生すまん。しかし終了後短時間ではあったけれど、歯科保健課課長補佐に直接手渡し詳しく説明。非常に理解を示していただいたと思う。この方はいずれもっと偉くなる人なので正しく付き会いたいものです。ルールは官僚が作りますから。

ここで、そもそも技工士の困窮問題がなぜ起きてきたかを簡単に解説します。故橋本龍太郎厚生大臣の時にさかのぼりますから、1987年以降になります。ちなみに青森協会として非常にお世話になっている橋本岳氏は次男坊ですね。この頃技工士の過酷な労働環境や低賃金の問題解決として橋龍が提案した7:3という歯科医師側診療報酬の取り分指針。歯科医師が3で技工士が7としてこれで状況を確認しましょうと。ところがこの時代の歯科医師はポンコツばかりで「7割も技工士にやったらこちらの取り分が少なすぎる。元はと言えば診療報酬が低すぎるからだ」と問題をすり替えてしまい、誰もこの7:3を守らなかったものだから橋龍は激怒して、「歯科医師の馬鹿者共の言うことなど金輪際相手にしない」と言い放ったのでした。そしてこのままずるずると30年以上経過し、保団連がこの問題を気にし始めた同時期までさかのぼるというわけです。勿論この間歯科医師会も様々尽力しましたが、全国のポンコツ歯科医師達の共感を得るまでには至っていないのが現状なのだと思います。だから今こんな状況なんですね。ちなみに私は当時からきっちり技工士7割を守っていましたし、それ以上の評価を出したときも有ります。だから現在も当院は困窮しているのかもしれません。しかし、それは技工士の所為ではなくそこから抜け出さない歯科医師の問題でしょう。

技工士は基本的に2極化しています。上等な歯科医師達と連携を組み最新技術と自身のスキルを駆使してそれ相応の技工料金を請求し当然それに答えることの出来る歯科医師が支払えば、年収1千万超えの技工士も存在するようです。しかし、保険診療と旧態依然としたアップデートしていないシステムではポンコツ歯科医師からのダンピングに身を切って答え、そういう取引から抜けられず、精進したくともそんな時間も無理で時給500円に泣く泣くすがりつき長時間の労働を心をすり減らして食らいついている技工士もまた沢山いるわけで、結果、勿論離職は凄い数なのです。若者達は歯科技工の未来が見えないので、技工士学校にも行くわけがないのです。進路相談の先生も勧めるわけがないですね。そこにポジティブな提案をして未来を明るく出来るのは歯科医師しか出来ないじゃないですかね。

この為体が国の所為だけなのだという理屈は私は納得出来ません。どこまで行っても歯科医師の所為ではありませんか?パラデンタルスタッフとして捉えていない歯科医師が多いものだからの結果ではないですか。診療報酬が低いままでも技工士とwinwinになるためにはどうすればいいのかを真剣に考えてこなかった結果でしょ。人のネガティブ本能がむき出しですね。

解決の糸口はなんだろうと言う事を、午後から議員会館を巡り議員本人はこの時期いませんから秘書の方々と、佐藤先生の提案を元に7件ほど色々お話ししてきたわけです。佐藤先生の提案は技工士不足を解決する一案として、時限的歯科技工士の外国人就労ビザに関するお話で、私は賛成です。詳細はここでは避けますが素晴らしい提案なのです。ただこの提案を提示するとき、どれ位の技工士が全体で、いつと比較してどれ位少ないのか、また何処でどれ位少ないのか、という基本的なデータが無いので、提案を実現したとして何処でどれ位のどんな効果があるのかも不明だと考えられます。最近技工物納期が少し遅いよね、、くらいの感覚の歯科医師が実に多く、現実問題としてピンときていないのでしょう。

しかし、いつまで繰り返すのかこの話題(笑)。私のブログ https://dentalkuma.blogspot.com/ の左上検索で「歯科技工」と検索して見てください。このブログに移行してからもこれだけ書き込んでいます。そして自分の無力もあって、、そう、、今まで殆ど何も解決していませんわ。申し訳ない。