12月 05, 2012

反日の構造

ここ数日、ほとんど無い時間を何とか工面して3冊の本を読みました。べつにブログネタという訳じゃ無く、タクシーの運転手さんとの会話がきっかけでね。
「せんせいさ、今度の選挙どうですか?何処とか決めましたか?」
「いやぁ。。。なんか訳分からないね。」
「でもねぇ、なんか、愛だ平和だって寝言のような事言ってる政党はダメだねぇ。」
タクシーの運転手さんの話です。耳障りの良い当たり障りのないきれい事ばかり言っている政党って半分くらいありますよね。確かに。

「反日の構造」という西村幸祐氏の本を東京の行き帰りに読みました。氏はかつて「反日ファシズムの襲撃」をすでに7年も前に記しています。朝日新聞をはじめとする左傾大メディアやテレビで、知らないうちにワシらはじわじわと正義の定義を反日のベクトルに誘導されていることは、何度もワシがここに書いたとおり。で、文中ハタと気が付いた事がありまして、なるほどと機内で「ぽん」と。

大東亜戦争という言葉をワシが使うと、まあ、ワシだけじゃぁないだろうが、「どうして太平洋戦争と言わないのか」とよく聞かれるんですね。言論の自由や表現の自由がうたわれている日本国憲法下でである。いちいちその説明が必要な状況っておかしくないだろうか。太平洋戦争は勝者である米国がそう言っただけで、本来「八紘一宇」と同じく「大東亜戦争」なのであるが、GHQの日本人に対する思想統制そのものであり、日本人はとんでもないことをしたという自虐感を心底植え付けるための洗脳は「真実はカウダ」でNHKが国民に対して延々と放送をした事実からもうかがえますな。(八紘一宇を辞書で引くと大東亜戦争時の侵略を正当化するスローガン・・と出てくるあたり、もうワシらは得体の知れない何かに侵食されきっているのではないかと悲しくもなるね)

この自主規制と左傾化思想の延長線上に、先に述べたような政党が未だ存在していることに大いに疑問を持った人々が、いわゆるC層として台頭してくることに、ワシはひどく期待をしてはいる。選挙もマーケティングも、ものの価値や中身とは裏腹に、例えばコスパだけが一人歩きして、そこに見事に騙され乗っかるいわゆるB層を中心に全て計画され、テレビ新聞の言いなりに納得し、一定のマイブームを作って自らは思考せず、そして全て他人の所為にすると言う情けないこの崩壊した社会の元凶を払拭してもらいたいと思うのだが。

戦後67年とか意味が分からない。欧州などではそんな事を言う国は何処にも無いし、言い出したら大変な事になるけれど、日本は平気でこの長いスパンの自虐史観にむせび泣いているわけで、その背景にはありもしない朝日捏造慰安婦問題や南京虐殺問題を引き合いに出す南朝や支那のそれこそ実態以上に大きく見える影におびえるトンデモ外交のなれの果てではないかな。民主党の藤村氏が南朝に対して「殴られた人達だから」発言のお馬鹿さん加減に、もう何が何だか(笑)。

是非、選挙の前に僅かばかりな歴史をひもといて、昭和18年の大東亜共同宣言を学んで欲しいし(正しい認識でね)、ハルノートの横暴と白人至上主義への抵抗を考えて欲しいですな。内部から来る反日こそ外部からの反日よりずっときつく日本人を蝕むことを知って頂きたいし、「国体」の体裁を成さなくなった日本国を誰が一番喜ぶかを考えて頂きたいですな。
今の選挙は、幽霊のようなTPPでもなく、反原発でもなく、そういう選挙なんじゃないかと思っていますよ。日本が本当に好きになれば全て解決するんじゃないですか?

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