諏訪大社のニュースをお読みになった方も沢山おられると思いますが、如何ですか。インテリサヨクのヒステリックな「動物愛護」がむなしく聞こえる正月の松の内です。
諏訪大社でのこの生きた蛙の生け贄儀式に、なぜか今更のようにインテリサヨクを中心にクレームが来ているのだとか。大社の詳細はWIKIで調べてもらえば分かるが、ワシが一番腹立たしいのは、この見せ掛けだけの「かわいそう」に他ならない。文化や歴史のなかに様々な尊い思いや考えが潜んでいることは皆さんもおわかりだと思うが、今時の異常なまでの潔癖症に代表されるように、これら生き物に対するうわべだけの潔癖症に無性に腹が立つのである。
じゃあ、おまえ、毎日草だけ喰って生きてれば良いじゃないか。と言うと多分「きぃ〜〜」となっちゃう(笑)。
生きとし生けるものの本当の命は、様々な形でその魂は引き継がれていく歴史をワシらは心の奥に認めている。彼ら彼女らの言い分をよく読むと、こういう野蛮なかわいそうな事例を認めていくから、虐待や暴力や殺人に繋がると言う。
全然逆だよね。見かけだけの、かわいそう気持ち悪い見たくないが、どれほど残忍な人間を生むのか分かっていないね。
認めると言うことは理解すると言うことで認めないと言うことは拒否すると言うこと。その理由が「かわいそうだから」では、てんで話にならない。
昨日喰ったウシさんにラムさんに手を合わせありがとうと言える現実をたたき込まないから、世にも珍しい残虐な出来事が起こると言うことを理解して欲しいものですな。
これって、見せ掛けだけのジャポニカ学習帳だって同じ事。虫が「気持ち悪い」・・だけで、地上最強構造生命体をオミットする潔癖症よ。クレームつける奴バカとしか言いようがない。
彼ら彼女ら、こう言うクレームをつける動物愛護団体の構成員のほとんどは、実はかわいいのは「自分」で、蛙とかがかわいそうと感じている「自分」が好きで好きでたまらないのだね。そうじゃないのなら、ムツゴロウさんのようにどでかい土地を用意して、そこで恵まれないかわいそうな動物たちを何とかすればよろしい。蛙から(で良いのかな?どこからかなぁ〜??両生類から?爬虫類から?イヤイヤ昆虫からでしょ(笑))猿まで?あっ、ヒト科も忘れちゃいけないカモよ。
ワシは人のエゴで悲惨な目に遭っている動物たちに対して何も出来ないでいる自分を認めている。かわいそうだが、新しい仕組みや法的な解決策が出来るまで待つしか無いと思っていたりする。だから愛護団体はこんなくだらない見せ掛けにエネルギーを使うのではなく、本当の愛護教育にエネルギーを使えよ。
しかしね、これは蛙の王様取りゲーじゃないんですよね。鯨のシーシェパードもしかり、結局見え隠れするのは人様のエゴ以外何も見えてこないから、とどのつまり貧乏くじ引いているのが人以外の生き物であることを、もっと真摯に考えろよ、、という事かな。
いや、私財をなげうって危惧種動物の保護に命かけたりしている方々は、ちょっと此奴らとは違うかな。
こうやって眺めてみると、ヒステリックな反核運動も脱原発も秘密保護法反対も、そして方向の違う異常な動物愛護もなんか同じカテゴリーの人たちだと見えてきませんか。
そ、一番大切なのは砂粒の「個」という意味でね。自分以外に大切なものを見つけられない人たちなんでしょう。逆境時、己を偽性にしてでも他を守ることなど、絶対出来ない人たちでしょう。
くだらないクレームに対しての諏訪大社の毅然とした態度に非常に好感を持ちました。
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