ダッカ事件で、何の罪もないそしてバングラディシュに貢献しこの国のために働いていた尊い命が奪われた事件。我が国は遺族に対して政府専用機を手配し急所現地に赴かせたのだが、、、安保関連法案を戦争法案などとキャンペーンをうち9条にしがみつく野党に尋ねたい。この後あなた方は、この人でなしの犯罪者らに対してどういう事を考えているのか。
と言うようなことを言うと、負の連鎖を断ち切る努力をするべきだという、上から目線の人を馬鹿にしたような共産党の言い分が聞こえてきた。虫ずが走る。
ドイツで13歳の少女が中東系の男3人組に拉致され、乱暴され殺害された事件で、この少女の父親は犯人捜しを拒否した。負の連鎖を断ち切るためだと発表し、世界中の左巻き知識人や平和主義者達から絶賛されたわけだが、果たしてそうなのだろうか。
お互いの目的が異なる以上、負の連鎖は断ち切るどころか、さらなる犯罪を抑止することが出来ないと考えるのはワシだけだろうか。加害者はそれが目的だったのだから安泰で、次にまた同じ事件やそれ以上の事件を起こす可能性が大いにある。なぜなら「許す」事を決断した崇高な知識と経験をお持ちの父親と同等の意識や道徳観や教育を受けているとは到底思えないからだが。ちがうか?国家間とておなじ。外交は最後には無力であることを過去の歴史から学ぶべきなのでは。現代人が昔の人より優れているとは到底思えないが。
かつて日本では、武士道の元、武士の身分で、例えば酒の席で口論となり相手をざんばらりんと殺害した場合加害者はすぐさま責任を取って、自らの腹をその場で切った。なぜなら、殺された側の、将来起こるであろう「敵討ち」は家名のプライドの元、正式な行為と見なされ、もし加害者が武士道にも劣る逃亡をした場合、何代にもわたり意趣返しを本懐するまでは正式に認められていた。
本懐を成し遂げた後、「見事であった」旨告げられ、決着するのである。当然逃亡していた側の家名は汚されそれ自体が何代も子孫を苦しめることにもなった。このシステムが稼働している時代、意趣返しの事例は、つまり、意味のあるなしにかかわらず相手を武士として殺害する行為は激減していたことは事実なのである。これこそ、お互いが、お互いの生き方など共有できない事柄が多くても、この仕組みで問題を解決するきわめて正常なルールだったと言える。
これが野蛮な負の連鎖行為だとしたら、西洋における決闘の申し込みも同じく野蛮であり、人間がそれを上回る知識と教養と道徳と宗教を獲得して初めて何もなかったこととなるが、ようは、命より大切なものがあるのだという現実なのだ。
宗教も教育も理論も正義も、ましてや日々食っているモノも何もかも違う人が隣人になったら、笑って助け合い不本意な何が起きても許す崇高な神のような域に、皆達することが出来るのだろうか。そこには数千年の経験則からなる戦いや争いやその先にある許容やあきらめが、例えば国境という形で残ったり、言語の違いで地域に残ったりすることを、一体誰が否定できるというのだろう。なぜハンムラビ王はかの法典を作ったのかの答えなのだ。
グローバリズムという名の下、世界中あちこち行けば行くほど、来てはいけない入ってはいけない聖域があるだろうし、その壁を取り払うために世界史では驚くほどの血を流してきたわけだ。
現実問題として、さあ、「話せばわかる」、、と彼らに言える超人は、本当にいるのか? 話してもわからないから殺害されたのではないかな。
なら、この現実から自身を守るために、結局は力で何とかするしかないから、各国は軍を持っているわけで、これは独立国家として自国を守る最低限の決まり事だろう。
さ、この選挙で日本人は日本人たる魂をどう表すのか非常に興味深くなってきた。護憲派が多数となれば、この国は相変わらず奴隷の平和で「幸福」な事になる。
0 件のコメント:
コメントを投稿