9月 13, 2017

反響の大きさに考えること

直近過去二回ブログで行政指導に対する疑問をぶつけ、沢山の書き込みや個別のメールをいただいた。閲覧数はこの2編だけで4000件を優に超える。こんな片隅の田舎の歯科医のブログにだ。これだけ関心が多い指導問題、何故今まで放置されたのだろう。

ここで私が気をつけなければならないのは、その反響の大きさに事の本質が隠れて、あたかも厚労省やその下部である所の厚生局批判になっては、本末転倒になることである。役所はルールを策定しそれが動くシステムを実行する場所で、そのこと自体の良否判断は出来るわけが無い。現場では無い。だからルールを変えれば良いだけだ。
何度も本省を訪れて感じたのは、当たり前だが、役所は決して国民健康を悪くしようなどとは思ってはいないこと。しかし、そこは役所で、縦割り行政本来の(笑)手続きに膨大な時間や労力がかかり、シェアも出来ず、思わぬ方向に向かうときもあるため、私やみんなが軌道修正をしなければならないと言うことだ。方法論として各医療団体の有効活用や直接政治的交渉などがあるが、現場での声を違う形で大いに世に知らしめる(ネット拡散等)のも最近の世相かもしれない。

そして本来問題にするべきは、人間的に適正を欠いた技官がいるということで、権力が思わぬ方向に向くと言うことと、その技官の相対評価が巡り巡って患者の不利益になってしまう事を防ぐ事であり、歯科医師個人の利害とは無縁であるというスタンスで無ければならない。一方、非常に人間的に優れた技官も多くいることは事実で、全否定する気など毛頭無い。

本来指導は懇切丁寧に行われる指導であり、返還ありきの指導など本来おかしな話だ。不手際があるなら指導し改善して最良の医療を国民に提供するのが目的なのだ。再指導でも改善する気のない歯科医師に対してならまだしも、再指導ありきで評価する姿勢は理解出来ない。現在の指導のあり方をまさに勘違いしている技官がいるという事を是正する必要があるという話なのである。厚労省を目の敵にする医療団体などとは違うということを理解していただきたいし、そうなのであれば私の意見の賛同とはならない。

国の舵取りの一つとしての厚生行政は、国益を考えても非常に重要なのである。その重要な行政から逸脱した技官をなんとか再評価したいという考えは、もちろん、まじめに毎日臨床に励む、ごく一般的なそして優秀な歯科医師達の考えでもある。

さて、人はエラーを起こすという前提で様々なシステムを構築する。リスクマネージメントの重要な部分だ。そのエラーを最小限にする事はもちろんなのだがゼロにすることは出来ない。だから行政指導があると考えている。しかし、リスクマネージメントの世界では、責任思考(個人の問題と責任)では何も解決しないという結論で、原因思考(システム障害の除去)が全ての解決策となるわけで、ある意味大きな矛盾でもある。

繰り返すが、本来歯科医師が、適当な診断と適当な処置をしているという前提で行政が見ているのか、そうではないのかは、その場で権力を握る技官にゆだねられている。しかし、その人間性の欠如から「おまえらは所詮適当なことしかしていないからここにいるんだ」というスタンスで指導とは名ばかりの指導が行われるとしたら、国民に対する背徳でもあるのだと言うことをその技官は理解しておくべきだろう。中には自分が警察にでもなった気になる「お馬鹿」もいるかもしれない。

そして、今回の話が思惑とは違う方向(すでに大きく誤解をしている話をいただいている)に行かないためにもっと重要なことは、横暴と言われようが、、「ふざけた仕事と過小な知識とスキルの無い歯科医師」もまた、少数ではあろうが、同時に糾弾されなければこれらの動きに対して意味を持たない事は理解していただきたい。










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