12月 03, 2022

夢の話、続きの続き

私が中学2〜3年の頃から高校1年の頃まで(昭和48〜50年)幼少時のように、毎度同じ夢を見ることが度々あった。当時私は星の撮影に夢中になっており、様々な天体現象を記録していた。余談だが明らかにUFOと思われるものを星の撮影中に何度も見たりした。時に目の前を想像を絶する早さで飛行する物体をカメラに収めライティングライツ現象としてその手の雑誌に投稿したりした。星の写真を撮っているので、おかしな場所の2等星くらいの星を見つけ、これは星図にはない星だが何だろうと見ていると、すーっと移動し消える現象など幾度もあった。


さて、ここからが夢の話。。。そんな星の観察をしているさなか、数名の何者かが暗闇の中から突如現れ、おののく私の近くにやってきて、「君は選ばれた人間なので 我々と一緒に来てほしい」と。昼は勉強もせずバスケットの練習に明け暮れ、晴れていれば夜な夜な星を見に行きそんな毎日の私にはとても刺激的なとんでもない出来事だった。しかし、突然私が消えたら可もなく不可もなく過ごしているとは言えまじめな中学生、事件になるに決まっていると言うとそれは大丈夫だという。君のコピーを置いていくからだという。パーマン状態。何か黒い飛行物体に乗せられ、途轍もない早さで飛行するとあっという間にチベットらしき上空に。いつもそこで夢が覚めた。ある時は、チベット山中の湖に着陸し、数日を操縦訓練で過ごしたこともある。なんなんだこの夢。

高校に何とか進学し、バスケット部に入ろうと思ったら、とんでもなくでかい巨人の集まりで170センチちょいの私はびびって入らなかった。代わりに、射撃部に入り国体を目指した。高校の射撃部は県内には我が1校しかなく、ジュニアとして確実に国体に行けるのだ。射撃場は高校からかなり遠かったので土日のみで、日常の練習は夜遅くまで校内での基礎訓練が主だったが、どのみち遅い時間まで学校にいるので、三沢市から来ている連中の下宿が有り、そこに入り浸っていた。悪いことはしていない。

日暮れも早い晩秋。夜の8時過ぎ頃だっただろうか、腹も張ったことだしと、暗い中を家路に向かい一人でとぼとぼ歩いていると、突然車が私の横に付け「どこまで行くのか?送っていくよ。」と変なイントネーションの日本語で話しかけられた。ノーネクタイだがスーツ姿が二人。右腕をつかまれ、車に乗せようとする。怖くなり必死で抵抗し振り切って全力疾走。追いかけてくる。細い路地を入りススキ密生の原野まで走った。そこまでは追っては来なかった。今なら不審者情報だろうが、当時この話をしても、「どこぞの親父がちょっと可哀想に思って誘ったんじゃないか?」と笑い飛ばされた。私は実感として、アレは日本人ではないと思っている。そして拉致しようとしたのではないかと、後になって考えている。

昭和40年代後半から50年代前半まで、全国各地での北朝鮮による拉致被害が報告されたのは、相当時間が経ってからだ。中学の時の夢は、モディファイドされてるとは言え、まさに高校での恐怖体験と一致すると思うのは私だけなのだろうか。幾度も見た拉致の夢。青森県からも認定はされていないが消息不明の健全な一般人の報告は数多くあるのだ。

続く

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