6月 11, 2024

様変わりしたように感じる今年の顎咬合学会

 1993年(平成5年)まだ保母先生がこの学会の会長時代、咬合の問題を詳しく勉強したい思いで入会した。と同時に認定医の試験を受けた。自分も若かったし、これからの歯科を考える上で咬合の重要さと面白さを、アプローチとベクトルの違う他の研究会学会と同時に参加していたため、とにかく楽しい学問だと感じた。日常臨床にすぐに落とし込める学問の中で、ダイレクトに結果がわかるのもとても有意義だった。

この30年の間、コロナの4年間?を除き確実に毎年参加はしている。臨床医の集まりというだけでなく、世の中の動向やトレンドに反応していく学会が、大学主体とは違いやはり面白いと感じていたからだ。


しかし、15年ほど前からの少しずつの変化に私は敏感ではなかった。そして10年ほど前からは基調講演だけを拝聴し、あとはスーパー後輩の茂木先生なんかと裏ぶれた下町屋台や居酒屋に強引に連れ出して飲みに行くのがこの学会のお決まりになっていた。なぜかというと、非常につまらないと感じていた内容になっていたからだろう。上から目線で申し訳ないが、お金になるペリオとインプラントとマーケティングだらけで、本来ならペリオと咬合とかインプラントと咬合とか、そもそもの考えなければならない話題が皆無になってきていた。私のブログで「顎咬合」で検索してみるとどうやら大きく変化してきたのは2010年過ぎたあたりのようだ。その時期の会長や主催者の苦悩がよくわかる。・・・・咬合では人が集まらない、、、、咬合では経営に繋がらない、、まあ、そんなところか。仕方ないかもしれない。開業医の集まりの開業医の学会なので学問的視点の切り口が別なのだから。



で、今年だが、咬合が戻ってきた!メインディシュが戻ってきた。かつて私が感じたデザートばかりが多くて
メインディシュにありつけないと言った感想を思い出す。今で言うならサブスクだらけで、元のアプリって何だっけ?という状態が長く続く。大会長の主張もあるのだろうけど、苦悩の末の客寄せ感が満載すぎた。


今年の開催は実にメインディシュが並んでいる感想。これなら私が一番脂がのっている時分なら「ワシにも話させろ」という感じ。一番あれこれ出来ていた時期、あちこちでプレゼンした物だが(最近の私の咬合の話はこれ)、この学会だけはやっていない一番の理由は肌の違いだったのかもしれない。まあ、誘われもしなかったし、私もそれほどの物じゃなかっただろうし(笑)。そういえば、苦手な先生だらけの時があった。その頃、大学の四国は高知の後輩が興味深い咬合関係のプレゼンを小さな部屋で何度かやったが、やはり彼もまた、私が肌の会わないイケイケ先生方が嫌いらしく、数度のプレゼンの後「ダメだここは最低だ」と言う台詞の後、参加しなくなったのを覚えている。かなり優秀な後輩だったが、咬合理論に一途すぎたのかもしれない。


当院卒業生の小澤先生の、短いながらのプレゼンはとても秀逸だった。こういう話を20年前から様々な視点と様々な地域で繰り返す先生方が、この学会に沢山いたとしたら、是非とも私も参加して盛り上げただろう。なんていう感想が今回の非常に有意義な内容だったのかもしれない。来年これにも増して素晴らしい学会に進化することを期待して楽しみにし様と思っている。私は佐藤先生や青木先生グルーブに内心とても感謝している。顎咬合学会を本来の形に誘導してくれた今回のプレゼンの数々だったのではないでしょうか。来年もお願いいたします。






3 件のコメント:

小澤良一 さんのコメント...

師匠ありがとうございました。私も拙いながら、最近の顎咬合学会はほとんど顎咬合の理論を考えていない発表ばかりで参加を控えておりました。佐藤先生、青木先生にお声がけ頂き、久しぶりの参加になりました。アライナーや各種デジタルな物がもてはやされ、大切な咬合理論や、生理学などは置き去りにされている気がします。今の歯科が建築基準法を無視して、感覚や、材料、道具優先で、家を建てるような方向に行っているのを感じます。来年もまた参加しようと思います。

kuma さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
kuma さんのコメント...

ありがとうございます。秀逸なコメントですね。まさしくその通り。そもそもという感覚が置き去りにされて、見た目の華やかさや商業色が強いデンティストリーに誰がしたんだろうといつも思いますが、山形の高木先生は某クイントだと言ってました(笑)。日本の歯科をダメにした商業誌と(笑)顎咬合学会も十分にその色に染まっていましたが、温故知新で少しずつ変わることを期待します。次は先生達の時代ですから。