歯科であろうと、その科学の歴史を長く伝えるのは 文化の継承に似ている。
東山慈照寺(銀閣寺)の店が並ぶ参道前脇の右に折れる坂道を奥に進む。右下手には哲学の小道。西田幾多郎先生が思索しながら散策した道で有名だ。ここは銀閣寺から熊野若王子まで続く疎水段丘になっていて、閑静な住宅や仏閣が並ぶ、観光客の喧噪とはかけ離れた静かな道が続いている。
家々の玄関軒先には「厄除ちまき」がぶら下がり、足下には「いけず石」という、長い歴史の片鱗があちこちに見られる。京都人は独特の「圧」をもって裏の裏をかいたやり取りが通常らしいが、それはそれ、他の町では経験の無い長い歴史を変化させないための文化の1つとして認識しなければならないだろう。何せ「先の大戦」と言えば、京都人にして見ると「応仁の乱」なのだから。
谷崎潤一郎の墓のある法然院は、殆ど人のいないひっそりと佇む静かな寺。観光ルートからもほぼ外れているため、静かな京都を堪能したい人がチラホラといるだけ。数十年前の京都の趣が残っている貴重な場所かもしれない。今や京都は外国人で埋め尽くされ、昔の京都はほぼ無いと思っていただけにとても穏やかな気持ちになった。
観光客がほぼいないと言えば、鞍馬寺から貴船に向かう山道。2キロ程のとても険しい階段の上り下りで私のふくらはぎはパンクした。地図で見るより圧倒的にアップダウンがキツい。しかし京都の自然はそこかしこに沢山残っていて、途中鹿にも出くわした。外国人もさすがにほとんどいなかったのだが、スイスから来たというカップルは、ローザンヌ在住で、息子の学校と同じ町だったものだから話が弾んだ。奇遇だね、じゃあと別れた後、帰りの混雑した電車で偶然また会った。何かの縁なのだろうか。「See you next time somewhere in the world」と言った。大笑いしてお別れした。
私はただの観光客で、京都人としてのなんたるかは知るよしも無いが、「老舗はいつも新しい」という言葉を聞くにつれ、嗚呼、なるほど、京都大学の左傾化した昔の学生運動を始め、保守政治家の少なさもまた、京都ならではの長い歴史の裏側なのだろうかと思ったりもする。タクシーの運転手さんが「京都大学の左翼的看板やそういう学生が少なくなっているのは寂しいですよね」と言っていた。観光で外から来た私にして見ると、この京都の長い歴史と遺産の数々を目の当たりにしても、とてもその思想が奇異に見えてしまうからこその歴史の重みに対する取り組みなのだろうなと感心したりもする。
八坂神社で、これからの当院の未来を祈願した。今まで頑張ってきた基礎は、あくまでも歯科診療の純粋な追求と、ビジネスではない歯科のあり方への哲学だった。今時笑われるかもしれないが、マーケティング重視の歯科のあり方とは如何にしてヒエラルキー上層部を我が手に収めるかの方法で、私は全くもって賛同できない。しかし、これからのあり方を次の世代が真剣に考えた末の話ならそれも仕方が無いのかと思ったりもするが、まあ、そんな難しい相談は八坂の神様にしたわけでは無いので(笑)。
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