私が口腔インプラント学会に加入したのは1986年頃だったので30年以上前になる。だから登録ナンバーはすごく若い(笑)。高木先生ほどじゃないだろうけど。当時のインプラントは大学ではなく臨床開業医がその主導を持っていたと思う。特に関西方面。そして、殆ど埋入経験のない大学の先生が認定医や指導医だったりした(笑)。
そういう感じの集団の延長だか先端だかにあったらしい日先研というなんだかよくわからない組織の、仙台でのインプラント100時間コースというセミナーに、多分第1回生として参加した。1年に及ぶ長い講義で強烈に印象に残っていたのは、最初の数時間の一条先生の解剖と、最後の2日間における小宮山先生の講義だろう。この小宮山先生の講義後、「これだけで良いじゃないか、今までの講義は何だったんだ??」とその理論と哲学と科学に心底傾倒したのだった。最終の講義後、小宮山先生に出来た直後(というか作る予定だったかもしれない)の赤坂のブローネマルクインプラントセンターに来て勉強しないかと誘われた。当時貧乏な開業医で、もうお金がそこをついていて、残念ながらお断りした。これが最大の後悔かもしれない。これ以降クラブ22にはそっぽを向かれる、そっぽを向く、、インプラント人生だった。以後、ほぼ一匹オオカミ、、いや一匹犬で、しかして、ありったけの力でインプラントを正しく進めてきたはずだ。
海外のAOやEAO、ICOI等は欠かさず参加したのに、日本口腔インプラント学会は殆ど参加したことがない。理由は大人の事情(笑)。しかし、不思議な物で、山形の高木先生の人柄にやられたのが20年ほど前で、それ以降は、高木先生や今回のチェアマンの遠藤先生に誘われるとなんだかいやと言えない感じで、いやむしろ楽しみだったりして。
と言うことで、今回の山形のインプラント学会は400名以上が集まる盛大な大会となって幕を閉じた。今回の演題で特に素晴らしかったのは,最近特に気になる自分の30年以上ケースの患者さんが著しい高齢となり介護の現場で手に負えなくなる臨床の崩壊状況の共有だった。ロングタームの症例報告は沢山あるが、訪問診療現場のエキスパートの菊谷先生の「毒」(今回はそうでもなかった弱毒かな)や黒嶋先生のデータ分析から来るインプラントとフレイル理解の重要性や米山先生の実際の崩壊現場報告考察等など、ここまでの素敵な話は日本のインプラントの学会では殆ど聞かなかった。むしろもっと時間を割くべきだったと思う。
6〜7年前からEAOにおいて鹿児島は都城の田中先生のお師匠さんであるところのジュネーブ大学のイレーナ先生は、口を酸っぱくして何度も何度も「皆年をとるんだよ〜、だれでもだよ〜、あんたもあんたもあんたもね〜!」と偉そうな、私は知らん(笑)ドクターを指さししていた。その背景のフィロソフィーは今回の話と同じなのである。
チャンピオンケースの手技と結果の自慢話に終始していたインプラント学会のそれなりの歴史に、チェアマン遠藤先生は石を投げたのかなと。この石は当たり前の普通の石なのだが、なぜか皆避けてきたので、訪問診療を一生懸命進めている先生方は憤りを感じていただろう。
インプラント野郎達から、天然歯だって同じじゃないかという声を実は沢山聞く。しかしそれ、先生!、訪問診療で崩壊現場を見てないでしょ(笑)。全然違うんだから。歯科医師が何処まで責任を持ってその人の人生に関わっていくのかという哲学を、インプラントだけではなく全ての補綴に当てはめて考えなければならない。そして黒嶋先生や菊谷先生のデータが裏付ける「年老いることとインプラント治療との明確な相関関係の光と影」を各自真摯に考察するべきなのだ。お互い頑張っても頑張らなくても「ピンピンコロリは10%」の事実とフレイル下降線の歯科的救済の有無、、だろうか。
まあ、兎に角、普段私が思っていたことを、見事に代弁してくれたメインシンポジウムでした。最後に、河奈先生の外科の基本のキの字の再確認や、夏堀先生のメカニカルな考察とリカバリースキルと、どちらの先生のお話も秀逸であったことに疑問の余地はないのです。
最後に、何で特別講演の話ばかりなの?と聞かれたらこう答えます。それ以外は聞いてませんでした(笑)。