翔んで埼玉というお話に、「私を誰だと思っているの?」と言うフレーズがよくよく出てくる(笑)。まあ、強いて言えば「私様を、、」だけれど。
患者さんの中には、地方都市ではごくまれだけれどこういう方が少しずつ増えていらっしゃって、なぜか首都圏にはかなり生息していると聞く。こんな世の中に誰がしたんだろうと考察してみると、個人主義が台頭するよりも早く個人の権利がむくむくと頭をもたげ、その権利を思考するための義務を果たしていない現実と、同調主義から来る匿名の身勝手な書き込みの増加がそうさせているのだろうか。私様は相当立派な人なのだろう。
以前から何度も問題視している、いわゆる患者のカスハラならぬペイハラ?自分が気分良くなければ、周りに対して何処から目線かわからないが批判的注意喚起?(否定)し、それがあたかも事実であるかのような風評をまき散らす。自分の満足は個々それぞれのはずなのに「私様」が満足しない限り皆そうであろうという天からのお言葉のごとくの振る舞いには辟易する。
考えてみると、数百年前から「ワシを誰だと心得るか!!」という言葉が、身分制度時代に生まれ、それが近代まで引き継がれると「俺を誰だと思っている!!」になり、平等多様性とか一億総中流とか言う、よくわからない時代になると「私様を誰だと思っている!」に変化してきているような気がする。基本的には単なる威嚇なのだが。
誰のおかげでここまで来たと思っている!、、と周囲に威嚇する政治家はことごとく落選し、リベラルが台頭し始めると、このロジックは崩壊している風に見えるが、そのリベラルがくせ者で、背景には「私様」が隠れていることは事実だ。左翼活動家達が異常とも思える世や人に対する攻撃性を増す背景には「私様」が中心の、身分制度以上のエゴがそこにはあることは間違いないだろう。
そんな強気の、あたかも車のハンドルの遊びが全く無い方々は、実は個人的に直接お話をすると非常におとなしくこちらがかまえても面食らってしまう。そう、そこには天下の匿名性が隠れていて、かつての朝日ネットというパソコン通信が衰退した背景の、実名だけの投稿に限る、、は、今やSNSでは無法地帯と化した匿名天国での「私様」なのだろう。
もっと楽しく平和な思考と相手を思いやる道徳を、もう一度考えてみては如何だろうか。このままではただただ殺伐とした「私様」の監視の下、住みにくい世の中になることは必然では無いだろうか。
さあ、サヨク諸君。この文章を得意の切り貼りで攻撃してみてくれ。ただし実名で(笑)。