5月 06, 2015

カンボジア3日目は帰国

2泊4日の旅も今日で終わりました。カンボジアを午後の便で出発して、タイ経由の夜便で翌朝5時に羽田、8時に三沢行きに乗ってGW終了でした。

カンボジアは本当に若い国だと感じましたね。ポルポトの亡霊をどういう形で理解しているのかまだ不明ですが、自虐史感はなかったように思います。アメリカ、シアヌーク、ロンメル、毛沢東と言うキーワードで繰り広げられるポルポトの時代。腐ったリンゴはハコごと捨てる・・という名言(?)インテリ層を片っ端から虐殺、メガネ君を片っ端から虐殺、仏像の頭をもぎ歩く、、死者数はその数100万人とも200万人とも。

やせ牛が子供と仕事をしている

やはり歴史の中で一番残虐で目を覆う流れをつくるのは、左翼であり反体制であり共産主義と確信。歴史の中での現実で、思想を実現するために、手段を選ばないのは世界中で左翼です。その冷淡さ緻密な計画性、感情抜きの行動を隠すために、愛と平和と平等を声高らかに庶民に訴え、庶民はイデオロギー大衆へと洗脳されて、やがて国家自体が自由のない監獄のような国家を形成し始めるのです。

ベルリンの壁を壊したのはワルシャワ条約機構の譲歩工作ではなくNATOの譲歩工作である事をワシらは理解するべきでしょうね。フランス領インドシナの歴史を鑑みても、白人至上主義からの脱却の手段としてポルポトの反体制は理解されつつも、理想実現のための非人道的な共産主義を掲げたあたりで大きく道を踏み外したといわざるを得ないわけですな。
だからこそ、よくぞ此処まで来た物だと、感心するわけです。

もちろんカンボジアは貧しいですから、子供たちも総動員で仕事しているところもあるようです。特に田舎は本当に貧しいのですが、教育が国を再生するという理念を元に本当にがんばっているよう。医科では小児では16歳までが医療費は完全に無料。貧困の大きな田舎ではとても助かるはずですが、病院までの移動手段が限られている現実も又直視しなければなりません。ちなみに歯科は全く蚊帳の外です。医療の範疇にすら入っていない感を受けました。見よう見まねで無資格医やバイト君が何とかしている現実は、早急に何か手を打って欲しい物です。
噂では、お門違いな日本の歯科医師達が入り込んでいる話は聞きますが、この国への社会的道義的責任を取るつもりで入っているのか、、、はなはだ疑問です。だって、311で経験した悪意と気が付かない善意のボランティアに同じ事が言えたわけですからね。目的は何なのか、カンボジア人は正しく確認した方が良いと思いますね。

タイ経由で帰国後、東京三沢便はその航路すべてがクリアスカイでした。翼に邪魔されない前列窓際だったワシは1時間ずっと外を眺めていました。本当に美しい我が国です。欧州の険しいアルプスの研ぎ澄まされた美しさとは違う、起伏に富んだ優しさのあふれる風景に久しぶりに釘付けになりました。山がほとんど無いカンボジアやタイのどこまでも広がる地平線で生まれるクメール文化と全く違う環境だからこそ違う美しさがあるのですな。

喧噪とも言える東京の灰色のビルを眺めながら、景色はわずかに緑色に変わり始めます。30分ほどすると山形空港が左下に見え、その向こうにまだ雪を抱く鳥海山が美しくそびえ、少しするとあまりに美しい田沢湖が眼下に。

灼熱の国から帰国したからそう思うのではない。日本は本当に美しい。

カンボジア旅の「人と遺跡」の写真ピックアップはこちらです。http://www.f-arts.co.jp/cambodia/photo_gallery.html




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