9月 23, 2016

医療計画討論に参加できない歯科とは

9月9日、厚労省で「医療計画の見直し等に関する検討会」が行われた。第2回「医療計画の見直し等に関する検討会」「救急医療」「災害時における医療」「へき地医療」「周産期医療」「小児医療」などをテーマに活発な議論が交わされた。全体には、歯科領域からの意見・議論する場面が少なく、基本的には、専門領域の意見・課題を傾聴する時間が多かったことは事実。地域医療計画というより地域包括ケアシステムの枠での歯科医療提供にならざる得ない状況は否定できな検討会内容であった。(オクネット)

こういう場面でいつも出くわす歯科的視野の狭窄だけれど、なぜなんだろう。
答えは簡単なのである。歯科が専門職として認められていない実態が浮き彫りになるのではないだろうか。医科的細分科目の一分野としてして扱われる背景を歯科は大いに反省するべきである。歯科大学が6年で研修医を含めた1年を経過し10年近くの臨床経験なしには社会に貢献できない現状は、医科とほとんど変わりはしない。
歯科大学の存在は、医科的思考以外に歯科だけのより高度で専門的な知識の網羅が必要だからだが、たとえば眼科大学や整形外科大学があり学業は6年である話は聞いたことがない所から鑑みても、歯科の特殊性は決して否定できない。かつて医科に対するコンプレックスで満たされていた時代は過ぎ、歯科医療分野としての社会への重要性が以前にも増してかなり高くなっているにも関わらずだ。近年注目のポリヴェーガル理論を読んで、これに深く関連する歯科とは、本当にすごいと思うのだが。

個人で、広範囲(マクロ)にあるいは超専門的(ミクロ)に己の仕事を実践しているスーパーデンティストはさておき(笑)、パブリックな立場の歯科医師会および類似組織に目を向ければ、日本だろうが県だろうが郡市レベルだろうが、決められた会務に翻弄され目的を失っているからこそ、こういう事態になることを賢明なる重鎮は理解しているのだろうか。
たとえば、郡市や県レベルで、目先の行政とのタイアップが重要との向きが、いかにに的外れであるか理解できよう。否定はしないがその効果を実感している国民や歯科医師がどれほどいるのかはなはだ疑問なのである。
結果陰口をたたかれるのは「受診率の向上のためではないか」と卑下され、国民全体の歯科的将来性などどこにも見つけられない。そもそも厚労省の把握している「歯科検診事業や各種イベントを契機に歯科受診する割合は1000人に一人」ではないか。そんなことに貴重なマンパワーと時間を自ら提供し満足している現状を、皆が理解しているとはとうてい思えない。完全に目的が違うのだ。その違う目的に歯科が向かえないのだ。

歯科受診抑制とは国民一人一人の歯科に対する知識不足と歯科医師自体の問題が内包されていることを国民自体が理解しており(だからCMやネットを駆使して良医を探そうとする)、戦後政策の一環としてのGHQが推奨した歯科公衆衛生活動のベクトルが、近年あらぬ方向に向かっている事はもう変えられない事実なのである。あるいは学校検診における意義とか、GHQ教育使節団の悪意に満ちた報告書を紐解いてみればよろしい。今まさに的外れの感は否めないのではないだろうか。

要は、役人にいいように言いくるめられ使われているに過ぎない歯科医師達がクローズアップされるだけなのである。その証拠が、国民の歯科意識レベルの無向上なのであり、肝心のこのような検討会を含む骨組みを決める会議での発言力のなさなのだと言うことを理解するべきである。

歯科は国民の健康のゲートキーパーであることが言われて久しいにもかかわらず、肝心の壇上で胸を張って言えるリーダーが不在であることもまた事実なのだろう。政治的に熱心なドクターは明らかに学術が不足し、学術にたけているドクターは政治的なことにあえて無関心。多くの引き出しを持つバランスの良いリーダーがいないのだ。





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