9月 14, 2014

口腔インプラント(祭り)学会

金曜の夜から東京入り。口腔インプラント学会参加のためです。何年ぶりだろうか(笑)。高木の兄ちゃんに「来ないの?何言ってんの?来なさい」と言われなければどうだったか。

思えばこの学会の入会は1990年に遡ります。当時は600人足らずの学会でした。今では15000人を超すのだとか。。89年からインプラント100時間コースとか参加していまして、それが終了した時に入会した記憶があります。入会以前からすでにワシはIMZインプラントを30〜40症例ほど行っていましたが、フルのケースなどの補綴で不明なこともあり積極的に参加した次第です。
ところが、1症例もない大学の大先生やほとんどインプラントを行っていなかった大先生が当時で言うアクティブメンバーだったり、認定医だったりと混乱を極めていて、一気に学会に対する興味が薄れたのでした。
そんな時、ある先生からICOIへのお誘いがあり、国際学会に向けて何度か症例を整理した記憶があります。この学会もまた当時は混乱しており知名度も低く、これこそがインプラント治療自体の当時の混乱を表している事なのだと理解しています。
その後今に至るまでこの直近15年ほどでそれぞれのインプラントの学会はかなり整備され、まさしく我が国のインプラント治療が黎明期を過ぎ、安定期に入ってきた証拠なのでしょうね。この15年でワシも相当頑張った記憶がありますし。

そんな中、王道とも言うべき道を約30年にわたり、全くぶれずにヒタ歩んできたグループもあるわけで、ワシは当時の使用インプラントがグループの使用インプラントと違うと言う理由で大先輩に蹴られそこには参加させてもらえなかったけれど、これはこれでそのグループ、素晴らしい事だと思っています。たまには理不尽な批判にさらされながらも、明らかに我が国のインプラントのイニシアチブをとってきましたから。

インプラントを初めて26年、今更ながらにこんな上から目線で(プッ)物申せるようになったワシは、特別な資格とか何もないけれど、GPの身での自身のインプラント臨床の積み重ねに改めて患者さんに感謝したりするわけですな。後少しでやっと1000症例なんて、専門的におやりの先生はへそで茶を沸かす程度かもしれませんが(笑)。
ついこの間も、6本埋入直後緊急で呼ばれて在宅診療へw。あるいはしびれる上顎難症例8本埋入直後、手に負えない小児のCR充填w。

こんなもんです(スーパー(マーケット))GPですから(笑)。



さて、肝心の学会はと言いますと、兄ちゃんと合流後、優先順位の一番のDr.Snetivyにご挨拶。後はみんな同じなので、メインホールがそれこそメイン。いつものお話ですが、下村文科省大臣のお話が良い感じでした。30歳若かったら行くだろうな世界に、、と思わせる文科省の取り組みに好感が持てました。非常に興味深い政府の取り組みを紹介していただきましたが、2点ほど?マーク。歯科医師は本当に供給過剰な
のか?おじい様先生方の話を鵜呑みにしていないか?と地方ならではの疑問。もう一つは、生活と教育にお金がかかりすぎるから出生率が2を切って、また、高学歴の家庭は高収入であることで学生の自由度が奪われていると言うお話。う〜ん。戦前は出生率が5くらいだと記憶しているが、ま、確かに要因は沢山あろうが、これで片づけていいのだろうか?日本人としてのプライドや日本人としての生き様の問題ではないのかという疑問。朝日の植村や加藤のような反日媚支那的ねつ造問題があたかも本当の事であると活気を帯びてきたあたりから急激に下降した出生率だとダレも気がついていないな(笑)。

ブースでは、なっちゃんやらおなじみのドクターの顔から、おなじみのメーカーさんの営業マン達に次々遭遇。お祭り状態でした。

その後明日のために、昨日に引き続きオクネット奥村氏と約束の浅草詣で。「宮戸川」という串天ぷらの店で当時のファストフード江戸を感じる。池波正太郎の世界だぁ。同じ時間なっちゃんが浅草今半ですき焼き飯を食っていたが誘ってもふられる。ナ〜ンだと、赤穂浪士の末裔「赤垣」で一杯。その後いつもの有楽町のガード下に兄ちゃんと合流して流れ牛乳ハイをしこたま飲んで、そしたら、偶然!トルコのアンタルヤの学会で一緒だった埼玉越谷の藤田先生にばったり出くわす。東京は狭い!詳細はFB(笑)。今日も一日充実したものでした。

最後、ホテルにテクテク帰りながら思ったけれど、高木兄ちゃんは凄いなぁ。
(意味不明)、、うはははは。









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