小学生の頃、七戸高校の裏に住んでいて、酪農科があったので、親父が教師だったせいもあってそこで作っている牛乳が毎日運ばれてきた。一日おいとくと牛乳瓶の周りにバターが付き始める非常にうまいうまい牛乳だった。ところが問題なのはどれがいつ来た奴か分からなくなってしまうことである。で、親父が、「そういうときはこうするのだ」といって、雪平鍋のようなモノで牛乳をコンロで温め始めた。
むむっ、いい奴は何も変わらないが、中にはヨーグルトのように凝固してくるものがあって、これが「食あたり」になるくらい苦しんでしまう「のんじゃいけない牛乳」、と教えてもらった。
何十年もそんなことをしたことがなかった。だって、賞味期限とか信じていたしその前に飲んじまってるし。今回ものすごく久しぶりに忘れ去られた牛乳を見つけただけなのだ。
コンロにかけた。凝固しない全く問題ない。
・・・・・・飲む。うまい。少ししても腹も痛くない。大丈夫。
このように、初期段階で自分の舌と鼻は「平気だと思うよ」と診断していたが、確定診断のためにコンロにかけたわけで、結果問題なかった。賞味期限の数字だけを見て「やばくないか?」と廃棄したら、一生懸命乳を出した牛さんに本当に申し訳ない結果となったかもしれない。3週間くらいなんとも無いのだ。
ついこのあいだ、13年経過した鯨缶を倉庫から見つけた。すこし膨らんでいた。でも、須の子だし、尾のみは貴重だ。空けた。プスゥと言う音と共に空気が変わった。鯨さんごめんなさい、食べ忘れて本当に申し訳ない。
このように、状況と自分の鼻と味覚で、大丈夫か否か鍛えるチャンスは昔に比べて激減して居るので、天災などで何かあったときなど現代人は本当に困ってしまうのだなとつくづく。。。。。
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