6月 16, 2020

都知事選は直接関係ないけれど・・・・

山本太郎氏が「安倍を逮捕しろ」と絶叫演説。いつも思うが、こういう人が人の上に立ってはいけないと思う。福島の原発事故の時、それまでは彼のことをなんとも持っていなかったが、言動行動全てにおいて、被災地の人間に対する配慮のなさもさることながら、自分の助かりたい一心の風評など、本当に信用できない人だと、私が被災地の現場で動いていた所為もあり、こりゃおかしいと実感した。そういう人が立候補して、応援し信者さんのような人達が確かにいる。何故だろう。

厚生局で必要な受講証を発行する医療安全講習会で講師をしているが、リスクマネージメント学会のプロトコルをいつも紹介する。その中で話すのは、何かインシデント・アクシデントをしでかした特定の個人を攻撃する「責任思考」は、院内では何も問題が解決しないということ。だから、それを当てはめると、誰がやろうが、政治的になら与党の誰かでも野党の誰かだろうが、こう言う思考回路では何も問題解決はしないのだ。
大切なのは「責任思考」ではなく「原因思考」なのだ。これは今評価の高いファクトフルネスの中でも度々紹介されている。

誰がこうしたからこうなったのでその責任を! では、人が変わろうが同じ事は繰り返される。そしてそれが本当に結果として間違えていたとしたら、始末書を書いておしまいだろう。次回からも同じ事が繰り返されるだけ。
たとえそれが政治の世界でもだと思う。肝心なのはその背景に隠れている「原因」でありその原因をシステム的に組織的にどうすればそうならないかを考えなければならないはずだが、常に「アベガー」とか「アソウガ−」とか「役人がー」とか、与野党入り乱れて何十年も繰り返してきている事を肝に銘じた方が良い。政治の歴史を紐解けば合点がいくはずだ。

政治にはトップダウンが必要な時があり、議会制民主主義とは言えその強権を発動しないと様々な複雑な理由で次に進まないときがあるのだと思う。反発もやむを得ない場合もあるだろう。全会一致など夢の場合の方が多いかもしれない。しかし、その夢とて実現は可能なはずなのだ。
よく揶揄される、保身のために強権を発動するなど、正常な政治家ならあり得ないことだが、責任思考の論点からいくと、責任さえ回避できれば保身が出来る事になるから「責任思考」はなかなか無くならない。しかし、よく考えてみると、我々はどうにかして誰か責任をとれという発想から、自身抜けきれないところがある。だから「腹をくくってはいかがか?」と考えてしまう。要は我々一人一人が「原因思考」の発想をなかなか持ち合わせていない証拠なのだろう。

いずれにせよ、「アベガー」という人達は、その背景にある根本的な矛盾から来る原因を探る気や改善する気はなく、引きずり下ろせば万事解決するという短絡的発想が全てであり、そここそを捨てなければならないのではないかと考えてしまう。何のために?誰のために?どうするか?と言うそもそもの議論はどこかに行ってしまっている。

朝日新聞や毎日新聞で、オリンピックは来年本当に出来るのか?という論を見かける。出来るのか?出来はしないのではないか?と言う前に、「どうしたら素晴らしいオリンピックを開催できるのだろうか」という議論を全くする気が無いようだし、「無理じゃないか?」と言うネガティブ思考ばかりが一定の読者にうけると信じている風だ。マスコミとしてはあり得ないが、その方が読んでいる人が喜ぶのだろう。これでは、やはり何も変わりはしない。

ダメだ無理だ!と考えれば、ダメだベクトルにまっしぐら。しかし、どうすれば可能か?と考えれば成功ベクトルにまっしぐらだと信じて、ささやかながら我が医院は30年以上進んできているだけに、全ての組織、全ての政治がその方向を見つけていければいいなと、山本太郎氏を見て「反面教師か」と思ったりする。・・・(本当はきゃつは死ぬほど嫌い)

なんか優しくなったなぁ、オイラ(笑)。年取ったか(笑)。




0 件のコメント: