6月 08, 2013

医療は消費なのか?

以前からいつも思っていることの一つに、医療は消費なのか?という思いがあります。本日のニュースに「小泉みつお岩手県議が病院で番号で呼ばれて激怒&俺は上客発言」なるお○鹿県議の話が漂っておりました。
この方が何を思ってこんな発言をしブログに掲載したのか、その本当の意図は分かりませんが、周りにいた他の患者さん達は引いただろうなぁ(笑)。

ワシは番号で呼ばれることに対しての事より(あまりにも幼稚なので)、「こちらは15000円以上の検査料を払う上得意のお客さんだぞ」とか「長いすに座っている患者の方に”本日はありがとうございました”と会計しに来るべきだ」とかいう、あまりにも大きな勘違い、しかも甚だしい勘違いの方が気になりますし、ここら辺が日本の医療のあり方を再考する良い機会だと思うのです。

コレが米国なら、医療は完全にビジネス以外の何者でもありませんから「消費」されることでビジネスは成り立ちます。この議員もあと20倍くらいの医療費を支払って初めて「上客」になるんでしょう。ちなみに15000円で米国なら歯石すらも全部取れませんから(笑)。
つまりこの、消費医療の本質に届くわけも無い日本の低い水準の評価額と、方や米国の消費医療の発想だけが一人歩きして、あまり社会勉強の得意では無いこのような議員さんが「トンデモ発言」をしちゃうのでしょうね。

それでは日本ではどう考えるべきなのか。驚くほど低い水準で評価されている歯科を含む医療全体で考えれば、医療提供側の相当なコスト削減努力とあり得ないオーバーワークとTPOを考慮した医療サービスでまかなわれているわけで、公的病院の慢性的な赤字経営がその証拠である事は間違いないでしょう。

米国並みの評価の元に、ビジネスであるところの消費を持ち込むことに異存は無いけれど、しかし日本の社会はそれを非として社会保障で医療を捉えている。公的ファウンデーションである社会保障に「消費」感覚だけを持ち込む風潮は如何なモノか。

加えて、例えばまさかの医療アクシデントに刑事と民事を両方持って来る法体系で慣れてしまった国民意識は、医療に対して聖域としての想像以上の期待を持って至極当然なわけで、カネだけで解決しようという米国医療とはやはりかけ離れているシステムなのだが、やはりコレもまた米国のいいとこ取り感覚でしか無いことを肝に銘じておいた方が良いのではないかな。

何にしても、どんなに反省しようが本質的に残念な議員さんですね(笑)。
そういえば昔、「○×さぁ〜ん」と受付が呼んだら、急に激怒し始めた患者さんがいて「俺は病院でそんな粗末に呼ばれたことが無い。なぜ○×様と呼ばないのだ!
ヤレヤレでした(笑)。ウチはとは呼ばないのであしからず。コレも今回の話と全くおなじ構造だと思います。

0 件のコメント: