国会前の集会で逮捕者が出たけれど、みんな1960年代の安保反対暴動左翼活動の経験者で、無知な若者を先導していた。安保反対していたら今の平和はないんじゃないの?と素朴に思うが如何か。
シールズ代表の国会発言を見て、ここまでウソをつく奴をなぜ呼ぶのだ?と半ばあきれたのはワシだけじゃなかろうに、そしてその招聘をした野党の浅ましさがかえってクローズアップされた感だけが残った。
これから決まるだろう事に関して最後の考察だが、、、、
今の反対している人たちにとっての日本とは、、「平和」という言葉が国家国民を守ろうとする努力を破壊する「武器」になってるのではないかな。
なぜなら、朝日や毎日がそして東京新聞などが「この法案成立はこの国を再び戦争に向かわせる」という主張を繰り返しているわけで、これこそが「平和」を崩し戦争を求めるという虚構の非難を放っており、それに同調する左翼グループが、一般市民を巻き込んで「戦争法案」キャンペーンを張った。共産党は相当金を出した。
与党政治家の言葉尻を捉え軍国主義とか好戦的だとか、もうその乱暴さたるや完全なる「暴力」であり、「平和」を政治的武器にしている。
実は一番大切な、平和とは何かという議論をどこのマスコミも有識者もまともに思考しない。なぜなら自己矛盾が見えているからだ。産経新聞だけ特集として平和とは何かを連載していたと記憶している。
そして、宗教がかったシールズの言い分は、どんなに蹂躙されようが奴隷になろうが戦争の無い状態こそ素晴らしいのだと力説しているようだが、、、、果たして奴隷の平和で良い物なのかを考えるに、ベトナム戦争終結時のベトナム共産党のホーチミン氏がこう語ったのを覚えている人はまだ多いのではないかな。
「独立と自由ほど貴いものはない」
つまり、独立や自由のためには平和を犠牲にしてでも戦い戦争をして獲得しなければならないという話。
オバマ大統領だって
「平和とは単に軍事衝突がないだけではなく個人の固有の権利と尊厳に基づかなければならない」・・・・って言ってるじゃないですか。
どうだろう、尖閣諸島の脅威も「ハイどうぞ」と支那にくれてやればとりあえずの平和は保たれるかもしれないが、その後も果たしてそうだろうか。チベットやウイグルを見ていて分かるように、支那はしたたかで狡くそして嘘つきで、都合の悪いことは地面に埋める習性があることを忘れてはいけない。
どうぞとあげれば見かけの戦争の危険は避けられるが、日本人のプライドも歴史も自由も権利もそして平和も、どぶに捨てることになる。反対しているサヨクや操られているシールズはそうするべきだと主張するが良いのか本当に。
で、この議論の時にサヨクの生き残り鳥越氏が
「何言ってるの、支那が攻めてくるわけなんて1000%ないよ、あり得ない。そんな酷い国じゃないでしょ。戦時中の日本軍の方が醜悪でしょ」と言っていたので、彼らはそれが前提なのだから、安全保障に関して議論する意味が無いことに気が付いた。
ちなみに、、、米国では対日戦争の勝利記念を必ずやるのだが日本では絶対報道されない。しかも大手米国のポスト紙はその当日の紙面で「原爆投下に神の感謝を」という信じられない表題まで飛び出す。
知ってるのか?シールズ。どんな戦争でも否定する我が国は、これを見ても世界の中では相当な異端児だが、世界中そうあるべきとの主張と思考が全くない。要するにお花畑の中で考えた見せ掛けの平和が大好きでたまらないだけなのだろう。
法案賛成派が平和自体に反対するかのような狂った濡れ衣を、一体誰が着せたのか、答えは明白だが如何だろうか。
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