7月 23, 2013

戦後日本の豊かさと原発

昨日の続きです(笑)。書き下ろし、、なんちゃって。

山本氏の当選に伴い、ワシは心底考える。原発立地地方では自民が圧勝。この構図を彼以下共産主義を目指す中核派を軸とした「反原発」グループはどう考えるのだろう。山本にとっては被曝リスクをゼロにすることが未来の子供達のためだと力説する。この理屈は311原発事故後、にわかに躍り出たリスクゼロを期待する都市部の理屈と上手く共鳴したと考えられるが、ワシはこれを否定するものでは無い。

が、しかし、都市部は原発から遠く離れているわけで、遠くからやいのやいのいっているだけに見えるのはワシだけだろうか。原発から遠く離れた都市部の特権で当選したに過ぎない。現に山本は一時期、低被曝などが怖いからフィリピンに移住するとまで言ったはず。基本これだけの人なんだと思う。

以前からワシはブログで、極貧にあえぐ、しかも戦後の日本の豊かさとはかけ離れた地方社会を紹介してきた。それは紛れもなく地方の、またまた地方の田舎の話で、たまに訪れる街頭から目に飛び込む豊かさとは無縁の世界。
仕事に追われる両親不在の夏休み、たった一杯のインスタントラーメンを小学生兄弟三人が一日一回しか食べられなかった実話は、つい八戸60キロ圏内の原発立地地域のついこの間までの話である。その豊かさと極貧の対比させた構図の解決案を、今のところ彼は全く提示していないばかりか、多分まるでわかりもしていないだろう。

冬場、誰が何と言おうとも、真横から吹きすさぶ吹雪の中にまっとうに家族を養えるだけの仕事は無い。父は都市部に出稼ぎに行き、貧しくも母は子供達を育てあげる。そんな中へ電源三法交付金や原発雇用が舞い降りてきて、過疎の進んだ町の藁をも掴む構図が生まれることに、一体誰が反対できようか。
いやいや、ジブリ的サヨクの言うところの、豊かさのはき違えという思考は、豊かさを享受した者にしか生まれては来ない。貧困に喘いでいた地方の歴史と、戦後の日本自体が謳歌したいわゆる都市部に於ける豊かな歴史は、図らずとも同時進行していた。そう言う複雑な社会背景に対する問題に対して、真っ向から立ち向かい解決しようとする姿勢は微塵も見られないところが、ワシの大いに怒れる所であるわけだ。
これを偽善議員と言わず何と言おう。。。

原発無しで生きることが難しい者に対して、本当の意味での「脱原発」を望むのであれば、地方の貧しさの歴史を省み、その抜本的な解決策を考えるのが妥当。なぜなら、彼らは原発のリスクさえ飲み込んでまで「脱貧困」を選択したわけだから。
そこには政治的な岐路調整や長期的視点に立った議論、あるいはエネルギー安全保障など、やらなければならないことは山積しているわけで、山本自身がそこに身を置くからには、今までのような薄っぺらい「放射能は怖い!」から脱却することを強く願うものである。

しかし、それにも増して怖いのは、政府情報が実に迅速に中核派に流れ、あまたの場面でテロリズムの温床にならないことを本当に危惧しているわけである。
(後日いつか、山本の言う火力に隠れた、大いなるリスクの話をしよう)

う〜ん。実に面白い。


しかしなぁ、もう一回言うけど、、こんな事書いていいのかしら。ロシアへ逃げるか?ENDU先生が言うように。

0 件のコメント: