10月 09, 2012

体育の日の晴天率と日本

昨日今日と本当に良い天気。特に今日は体育の日で、かつて体育の日が10/10であった時代からも過去データでは抜群の晴天率です。

ちょっと昔までは元気だった・・・(笑)
友人からメールがありまして「八甲田登山しました。最高です。一週間頑張るぞ。」テな感じのメールに、麓の婆古石までそばを食いに行っていたワシとしては、ああ、やはり八甲田まで足を伸ばすべきだったと反省するのです。それぐらい本日はクリアスカイでしたね。こういう時ってもったいなくて、むしろ何すれば良いか分からなくなります。アクティブな年齢なら、あ、カヌー持ちだそう、とかアクティビティを考えるのですが、昔子供達をだしに使っていたせいもあって、今じゃ、なんかね。だめだなぁ。


夕方ちょこっとバイク乗って、帰って来て、ノーベル賞はすごいなと。日本はやはりすごいぞ、良い国じゃないか。多額のお金を出した我が国にこういうときは感謝しよう。そして、テニスもすごいじゃないか、後で見たけどやはり空飛んでのリターンエースは感動モノだ!
やはり日本はすごいじゃないか。

そんな日本がこれからどうすればベストなんだろうと、明日の病理の講義の準備をしながらツレツレと考えるに・・・・!?
1727年、ケンペルが書いた「The history of Japan」というベストセラーの中で、「日本は特殊であり、その鎖国は肯定すべき」と述べています。日本の地理的特殊性はもちろん、独自の学問や文化が栄え、欧州からから学ぶことは何もない、、などに加え、「和を重視する国民性」「キリスト教以外では異宗教が共生している寛容さ」を指摘し、当時魔女狩りに狂う西洋より先進的であると、18世紀から19世紀にかけて世界中にその日本観を紹介する役割を果たしました。
ですからこの時代の、カント、ポルテール、モンテスキューなどの啓蒙思想家はこぞってケンペルの見解を引用し日本という国を分析しています。ケンペルのポジティブな日本観はやがて、啓蒙思想の合理精神に裏打ちされた科学の発展と産業革命により得られた欧州人のプライドと相反するようになり、皮肉にもそれらが和訳され「欧州の啓蒙思想が鎖国によって日本に受け入れられなくなったがために技術先進国であった日本は取り残されてしまった」と鎖国論が国家としてネガティブに捉えられ、幕末の志士達の必読書となった訳です。

吉川氏の「ガラパゴス化する日本」を読むと分かるのですが、日本は開国してからたかだか150年くらいしか経っていないわけで、例えば携帯電話の技術のガラパゴス化は日本という特殊性の裏打ちであったり必然のファクターが無数に存在していることがよく分かります。携帯と同様の転帰をたどるのはそのほかの技術でもそうであるわけで、がむしゃらに盗ってもなお自国の利益につなげようとする支那や南朝と一線を画することは当たり前の事だと感じるわけですね。
どうですか?グローバル化とはボーダーレス経済であり国家のリアリティは非常に希薄になります。自給率を上げるシステム構築なんぞ本来はお手の物の我が国ですから、ここいらで鎖国でもすれば、新しい日本も見えてくるんじゃないかと、暴言ですかね(笑)。
どうせ、この海の向こうはどっかの国に絶対つながっているんですから。。



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