3月 15, 2021

あの瞬間何をしていただろうと思い出す


 テレビのロードショウで、Fukushima50をやっていたので、多分AmazonPrimeとかでもあるだろうなとみたらあった。と言うことでじっくり見させてもらった。あのときあの現場で何がおきていたのかを事実に基づき細かいところからキチンと作り上げた映画だ。

とても面白かった。映画には出てくるわけではないが、この決死の現場の所長の物言いを後から「切り取り捏造」報道した朝日新聞。いつでもどんなときでも最低だなと思い出した。吉田所長でなかったら、一体どうなっていたのだろう。命をかけて現場をヒトを街を国を守るというのはこういうことなのだろうかと。超個人主義の左傾化したヒトにはわかるまい。だから簡単に原発を批判する。無いに越したことはないかもしれないが、現実問題そこにあると言うエビデンスを無視して次に進むことは出来ない。

阪神大震災の時の村山総理。全く総指揮者としての能力が無く動けなかったのを思い出す。自衛隊はいつでも向かえるようにスタンバイしていたにも関わらず出動まで6時間以上かかり、そのおかげで助からなかった命も多かっただろう。スイスから来た優秀な救助犬達を超法規的に上陸させることが出来ず仕事をしてもらえなかった。数え上げたらきりが無い。そして311では、この映画でも際立つが、悪夢の民主党管総理の無能さではないだろうか。何のことはない。感想としてはいわゆるサヨク市民グループのトップのやり方を国政でやろうとした幼稚園児並みの振る舞いだったのではないだろうか。なんとも情けない。

私は、早い段階の被災地で実感した「現場の困窮より助けに向かう側のプライド」という問題に本当に腹を立てた。この映画でも随所に出てくる「現場を知らない人間達の歪曲したプライドが現場を混乱させる」と言うことだろうか。米軍の救助要請を断る政府。そのまま受けたら日本は何も出来ないと思われてしまうと言うつまらないプライドが優先。実際に私も被災地で、チームで自己完結型で救援に向かったが現地の歯科医師会に来ないでくれと言われたのを思い出す。私は無視したし、私たちを要請した医師は「地元の歯科医師は何もできない(自分のことで精一杯)から来てくれ、全ての責任は私がとる」という言葉に励まされ現場の士気が上がったのを思い出す。要するにこういう混乱では、こう言うつまらない意地のようなものが、現場の困っている人達に大変な迷惑をかけると言うことなのだから、「わかっている人」の指揮系統の確立というのは本当に重要だと思う。我々のチームはその「わかっている人」のいたおかげで、実にスムースに動くことが出来た。

福島の原発が爆発した瞬間、私はやっと繋がったワンセグで、言いようのない不安と供に見た。一体この先どうなるんだろうという不安と、そこにいる人達は大丈夫なのだろうかという不安だった。10年経過してまだ自分の家に街に帰ることの出来ない人達も沢山いるが、単に「だから原発はいらないと言っただろう」というヒステリックな反原発では済まないと思う。その後に福島を襲ったいわれのない醜悪な風評と自称専門家達の不安の煽り。まさに今のコロナのごとくのインフォデミックで、福島の人々の心はズタズタにされた。これは原発の所為なのか??否。原発以上に恐ろしい(原発でなくとも)ヒトの心の弱さを恐怖に変えた悪魔の所業ではないのか。

映画の随所でその事を何度も思い出した。



3月 12, 2021

これを機会に色々読み返してみたんだよ

 


かつて私のネットの片隅ブログで、数日で500人あまり、トータルで10000人あまりもの閲覧があった時がある。「Japan Moves Right」というTIME紙の記事を話題にあげたときだ。そもそも米国人に左向きを言われてだから何よと思うのだが、ここは冷静に考えた方が良いし、指摘された当時(2012)から何も変わっていないばかりか社会を含めてますます拍車がかかってきて、くだんのマスゴミはこぞって左傾記事を競っている。まあ、しかしだからという訳ではないのかもしれないが、左に角度を付けた捏造切り取り記事が大好きな朝日新聞は部数を300万部以上落としているのもまた、左傾化の面白いところかもしれない。そして彼らはこぞって「日本の右傾化を危惧する」とか息巻いてリテラあたりの気の触れた方々の記事を引用したりする。

30年前から本当に疑問だったのだが、サヨクの人達って「愛国サヨク」という、特に米国などに大勢居る左巻きを本でもネットでも殆ど見かけない。我が日本にいるのは「反日サヨク」ばかりでまるで日本のことを愛していない。批判とクレームと行きすぎた人権ばかりを主張し、一体誰が幸せになるのだろう?と首をかしげる。

また、日本のサヨクは支那や朝鮮が大分お好きで、彼らの言い分と寸分違わない主張を数多く見かける。政治的にもサヨク的政策は日本人のためとは思えない政策が突如として出てくる。これは与野党関係無しにだ。

また、共通項を政治的に利用して「原発反対」「9条と平和」「常に政権批判」「自衛隊排除」等などもうきりが無いほど情報が変異しているのだが、逆に彼らは夢だと持っている節もある。その一つに、かつて共産党が毎回言っていた「軍事費を削っての予算補填」という馬鹿げた茶番を、本当にまじめに考えている。目的がまるで違うのに、手段が目的になる茶番だ。また、皆が武器を放棄して、世の中からミサイルやアトミック爆弾がなくなり、世界中が自由に行き来が出来、9条を唱え全て話し合いで解決できれば、全世界が平和になると信じている。自由とは天から降ってくるものではなく獲得するものだともう忘れている。その自由のために世界中で紛争が絶えないではないか。武器があるからなのか?おいおい。

国際法を無視する隣家の通りに面した我家。そのドアを頑丈にするためのお金などいらないから、ドアは開けっぱなして鍵もかけず、おまけに玄関先には大金の入った金庫を開けっぴろげにしておこう。玄関ドアにお金をかけるくらいなら家族の食事を充実させれば良い。近所に悪い人なんかいるわけがない。・・・・・・・と信じていたウクライナがついこの間どうなったかなんて、彼らには関係の無い大河の対岸の火事なんだろう。チベットやウイグルやパキスタンやインドなど、どうでも良い話なのだろうか。

これが戦闘機をはじめとする防衛予算を削れという基本的な理屈のようだ。私ならまず惨殺されないように準備をして、族が侵入したらアドレナリン大放出出来る武器を常備する。で、そんなことを言う人は右向きなんだそうだ。右も左もなく自身の利益を守るだけなのだが。

こういう話、実は2000年くらいから自身のブログで何も変わっていないと言うことは、世の中特に何も変わってはいない、良くも悪くも、と言うことかなぁ。平和なお花畑は維持されてますね、反日サヨク様達。



10年前を思い出す、と言うか考える

 10年前、未曾有の経験をしたときのおおらかに振る舞おうとしている(笑)当時のブログを読み返してみた。結構面白い、そしてクローズアップされるのは、やはり角度を付けた(朝日新聞隠語)マスゴミの報道だったかもしれない。

https://plaza.rakuten.co.jp/dentalkuma/diary/201103130001/

https://plaza.rakuten.co.jp/dentalkuma/diary/201103280000/

そして、歯科医療支援だが、ここに面白い書き込みをしている自分がいる。FBでも少し触れたが、困っている患者は蚊帳の外で、プライドやしきたりに右往左往する医療関係者だった。花巻空港に一体どれだけの医師が集まり、ドコで何をすれば良いのか五里霧中。ヘリで運ばれてきた一人の患者に医師が群がる不合理。きれい事除けば、、歯科も同じだった。

本当の現場は実に泥臭いのだ、という話を後の講演会で何度かお話しした。気持ちの良い話ではない。しかしそれを糧に次に繋げてほしかった。阪神淡路震災も新潟震災も、歯科の活躍や行動はわからないながらも相当頑張ったはずなのに、その記録や行動が継続して伝わっていないために毎度同じ不合理を繰り返す悲しさと気がついた。その後の熊本でも、東日本の土壇場のできあがったシステムは継続されなかったと聞く。とても残念。

どのフェーズで歯科医療がどれだけ必要なのかは、被災地のQOLと密接に関係があるはずなのだが、それどころではないと毎回切られている歯科だったが、新潟震災でその理屈を無視してスタートした当時の小千谷市の歯科医師会専務の行動に感化され、宮古田老地区での歯科支援の指揮を執った。地元歯科医師会の困惑は手に取るように理解したが、その確執を乗り越える理論と哲学が私たちを動かした。目の前に困っている人が大勢居る、、、ただそれだけなのだ。当時のブログにもあるが、緊急事態に巻き込まれた絶望の淵にある人を真に救うのは、「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」そして「プライド」や「立場」などではない。「行為」、そう、アクションそのものなのだ。

これは、その時真に思い感じたことで、経験則とはいえ今でもこれは変わらない。現場で汗した本当の思いなのだ。

最後に思うが、こういう現場で常に心も体も頼りになるのは自衛隊だ。我々医療人は、有事の際は自衛隊の傘下に入る訓練をし、その指揮系統の元で医療行為をするのが一番合理的で一番理にかなっていると今でも思っている。講演会でも何度も話したが、いらぬサヨクに批判される。あなた方は助けないから安心してください。

安全保障のプロ集団の元で仕事をするべきだとつくずく感じるのだ。