日曜日, 3月 22, 2015

サンフランシスコ5日目そして帰国と

もう一週間経つので、色々忘れてるんだけれど、SF最終日のことを書き留めておこうかな。

学会終了後すぐに帰国した先生方も多かったかもしれませんが、ワシは帰国便の関係で皆さんより一日半SFにとどまり、当初の予定ではサクラメントまで足を伸ばそうかと思っていました。でもよく考えると日曜日なので、当初サクラメントの歯科医院を訪問しようという計画は、「休診」の壁に阻まれあえなく予定変更。そして、帰国便が深夜の玉木先生が急遽参加。

ガードレールとか全くなし!
サンフランシスコをあとにして、一路北上。1号線に入り、三陸を思わせる海岸線を北上。非常に美しいところは同じなんだけれど、なんてったって米国、人工物が全くないところに遭遇するはすごいわけで、夜中こんなところで車が故障でもしたらどうなるんだろうかと心配になるね。少なくともワシの携帯(T-mobileキャリア)も圏外だし(笑)。

Stinson BeachのBreaker Cafeでトイレ休憩とコーヒー。浜まで出て見ると結構人がいる。ていうか水着で泳いでいる人も。結構肌寒いんだが、彼らの感覚について行けない(笑)。ここでドライバーのヤナギ氏が昔のアワビはこんなだったと教えてくれる。で、で、でかい!!昔は取り放題だったらしいが今は支那人の乱獲で個体が激減してかなり規制されているという。ここでも世界を滅ぼす支那の陰が。。



休憩後1号線を北上して、Point Reyes国定海岸のビジターセンターへ。ここでまさしくプレートの境目であるSan Andreas Fault Zoneの真上に立つのでR(笑)。

腹も減った頃。すぐソバのPoint Reyes Stationと言う町に牡蛎の旨いところがあるというので参上。宮城や熊本の牡蛎の稚貝を養殖していると言うから旨いに決まってるね。古い駅舎の跡しかない小さな典型的な米国の田舎町だけれど、なんかいい感
じ。ワシの最後の晩餐の一品に選んでいる牡蛎フライと生牡蛎に舌鼓。













腹もふくれたところで、サンタローザを目指すのだけれど、途中偶然通りかかったベタルマと言うところにあった小さなバー。ヤナギ氏が急に車を止め「なんか、1859年って書いてあったよ」とUターン。これが大正解だった。
WASHOE HOUSEと書いてあるそのバーは、確かにすごいところだった。ワシらだけなら外観の写真でも撮って終わりの所、ヤナギ氏はすごい(笑)。バシバシ中に入り「きてみてぇ〜すごいよすごいよ」とワシを呼ぶ。本当にすごかった。天井や壁一面に這ってある1ドル札はものすごい数。
ここは昔幌馬車の中継基地だったようで、一攫千金を狙った連中が、もしかすると帰りは一文無しになっていたら困ると言うことでこの習慣というかおまじない
が慣例になったらしい。帰り道このハウスのこのカネで、無一文になったとしても酒を飲んだり二階は娼館だったようでそれなりの事をしたりね。だけど沢山張りっぱなしって言うことは、みんなほとんどこの店に立ち寄った人は成功したと言う事ね。
日本人第1号として、貼らせて頂きましたよ、1ドルと名刺。


さて、昨年町おこしで出来たらしいカジノのある町へ向かいました。ずっと寝ていた玉木先生が起き出したのもこの頃(笑)。ワシは10ドルが100ドルになったあたりで終了。意気地なしだからね(笑)。
なんか、アミューズメントパークっぽいGRATON CASINOですが周りは何もない所。町おこしとしては成功じゃないですか?左巻き人権派の人たちは日本にカジノはいらないと言うけれど、パチンコよりよっぽど環境的には良いと思うが。ま、ワシはあんまり興味ないので積極的に賛成というわけではないけれど、同じ賭博ならパチンコは全くもっていらないね(笑)。こっちのがよほどまし。
このパークで、晩飯は、やはりワシの最後の晩餐のメニューの一つ酢豚を食らう。支那嫌い?そうだよ、でも中華メシは別よ(笑)。

翌日、昼の便でめでたく帰国と相成りました。

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