1月 31, 2018

朝日新聞による・・・・・・

AさんとB子さんは不倫関係にあるらしい、、という記事をメジャーマスコミのASHが650回もの記事を書いた。Aさんはそんなことはない、だいたいその証拠はどこにあるのか?と正式に回答反論したにも関わらず、マスコミASHは一貫して無視。そして、「不倫関係がある可能性を否定する証拠がない」つまり、無いと言うことの証明(Ebidence of absence)という悪魔の証明キャンぺーンをはった。
そして、嘘も言い続けると本当になる。これは支那や朝鮮のことわざで、本来日本にはない。

小川榮太郞氏の「「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」という本を巡り、メジャーの朝日新聞が弱小な出版社と筆者を相手取り5000万円もの賠償を求めて裁判を起こした。言論の自由という重要な事柄を自らの手で首を絞めた格好だが、朝日新聞は正気なのだろうか?
言論には言論で何故対抗しないのだろう。しかも朝日など、新聞はおろかテレビ雑誌週刊誌、その媒体に出来るモノは数限りなくあろうと思うが、その場での反論や検証は一切行わず、「俺様に刃向かうとこういうことになる事がわかっているのか?」と言わんばかりの暴挙に、怒りを通り越してどん引きしてしまうのである。

海外では、こういう言論封鎖の裁判を「スラップ訴訟」と言い、非常に嫌われ馬鹿にされる。国によっては禁止さえされているぐらい、人道的あるいは自由主義を守る上で最低の訴訟なのだ。では、いくら購読者数が毎年どんどん下がっているとは言え、大企業の朝日新聞社が、何故特定の個人に対してこんな馬鹿なまねをしたのだろうか。

本来、朝日はジャーナリズムと文字の力を信じているというキャンペーンを幾度となく張っている。しかし、その背景にあるおごりは、ここでも以前紹介したが、、3.11の大惨事の時、止まった東北新幹線車中で「俺達を誰だと思っている、朝日の政治部の記者だぞ」という連中の車内での傍若無人ぶりで、我先に下ろせと大騒ぎ、食べ物がないとわかると車内販売を買いあさりほかの乗客は無視。
こういう末端での朝日的体質はむろん上層部執行部でもそうなのであろうという想像は容易に出来るというものだ。朝日は偉いのだと勘違いし、全てが上から目線という状況なのだろう。

論争こそが言論の自由を守る最低限のルールであるはずなのだが、朝日新聞はそれ自体を否定し、ほんの一人のジャーナリストの意見を、自社に都合が悪いという理由で弾圧しようとしている。この本が誹謗と中傷だというのなら、何故紙面で戦わないのだろうか。そう、この本の推論も含めた事実こそがまさしく真実だからなのだろう。

なんて会社だ!

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