7月 17, 2018

今できることを一生懸命

30周年記念祝賀会では150名を超す大変多くの皆様にお越しいただき本当に感謝いたします。また、私たちのために過分なお祝いやお花の数々、本当にありがとうございます。これからも一生懸命頑張っていく所存ですから末永くお付き合いください。

そして、、、、文体が変わりますが、、

西日本の甚大な被害とその復興のさなか、夏祭りはもちろん当院グループの30周年記念やらなにやらと楽しげな事がこちらでは続いており、不謹慎なのでは??という不安のメールもいただいたりした。
そうなのだろうか。

私たちは311の大震災を経験したとき、やはり同じようなことで様々な場所で自粛ムードが広がり世間が重く沈んだことを覚えている。自主規制をしても何も解決しないことをわかってはいるのだけれど、何か申し訳ないという気持ちだけで日常を捨てていた方々が沢山いた。気持ちはありがたいが、何も嬉しくは無かった。

「私がなんとかしたい」と、そう思うのなら、自己完結でボランティアに来るべきだし、そうではないのなら日常を今までどおり明るく過ごして頂いた方が私たちは嬉しかった。卑屈になりネガティブな要素ばかりを探していては、実は光が見えない。私たちにも復興の光がほしかった。だからある意味当事者を気にしてはいけないのだ。

出来る事を出来るだけ一生懸命にしていれば、どんな状況に置かれていてもどんな状況の思いでもみんな嬉しいことを私たちは経験した。だから先般熊本の震災の時は、私は行く勇気が無かったし心の底から行きたいとも思わなかった。ただし、経験を生かした歯科的なエマージェンシープロトコルを問われたら行って指示を出すことは考えていた。だが、そんな何処の馬の骨かもわからないやつの指示を聞くとは思えない(笑)。今回は勝手が違いすぎるので足手まといになるだろうと思った。被災しているにもかかわらず広島からわざわざ30周年に参加したかつての勤務医は家族ごと東京にいるらしい。私はそういう所に行く勇気が無い。

災害時直後、復興時、絶対に必要なのは圧倒的な縦の命令系統なんだと何度も言ったが、平和ぼけの日本人にはなかなか受け入れられてもらえないのが現実だった。
みんなの意見を聞いてとか、上の判断を仰がないと出来ないとか、みんな平等公平にを第一優先順位にしてとか、まあ、有事では使い物にならないレギュレーションが蔓延する。
「何があっても全ての責任を私がとるから自由に判断して行動してほしい、ただし命令は絶対だと思ってほしい。」
こういう人がトップに立つか否かで事態の改善スピードが驚くほど違うことを2つの震災で経験しているだけに、現場に行く腰は重くなる。

だから、今できることを一生懸命当たり前にすることこそが、現場で困惑し、疲弊し、悲しんでいる被災者への最大の思いやりだと思っている。そして一生懸命当たり前に過ごすことで、必要なお金も巡り巡ってそこに届くと考えている。





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