5月 18, 2019

きわめて残念なスタンスに活を入れる

5月16日、朝から議員会館を回った。何のどんな立場での議員陳情かとよく言われるが、青森協会ほぼ独自の与党議員構成なのだ。本来保団連がイニシアチブをとって多くの議員陳情するものなのだが、回る議員が共産党や支持率低迷以下の野党ばかりで、全く話にならないばかりか議論にすらならないため、ただのガス抜き陳情になっていることは間違いが無い。野党が憲法議論を放棄しているように、歯科の問題でも逆に同じ事がおきるに決まっているではないか。

保団連の用意した陳情資料は話にならない。こんなものは使えない。と言うことで独自に整理した資料を持って歩いたわけだが、ある保団連代表の歯科医師が集合時に熱弁を振るっていた。今話題の「キムリア」の価格が3300万円という途方もない金額になった事を揶揄して「私の歯科医院の年商よりも多い、こんな事が許されるのか?」と。
おいおい、議論の論点がまるで違う。かつて共産党が、軍事費を削って医療費を上げろと言っていた、意味不明のロジックだ。
あのね、あなたの医院がわずかな収入しかないのは、回りのせいじゃないでしょ。あなたの所為でしょ。それをロジックをすり替えて陳情するから、まともな議員は相手にしないと言うことが分からないのですかね。薬価の設定にはおかしな部分があるから「キムリア」に関しても産経新聞でその実態や妥当性や有効性を論じていたけれど、先生の話しぶりじゃあ「そんな高い薬を認可するぐらいなら歯科に回せ」というキチガイじみた話になる。バカだ。こんな人達と同じだとはとうてい思われたくない。

今回のメインは、そもそも歯科用金属のように相場に左右される価格変動するような医療材料ってあり?と言う話と、歯科医師法に関する話。歯科医業は医業ではないと定義されており、楽観的にそこに含まれるとか曖昧な話をしてすでに100年経過した。法的に明文化されていない歯科医業だから、歯科医師が口腔に関連する医業を行って何かあっても、定義がなく明文化されていないために、歯科に関して言えば、法には規制されるが法には守られていないというおかしな状況をなんとなくグレーにもやもやした感じで続けてきたツケがどこかで爆発しないかという危惧と、次世代に胸を張って既成事実のみで引き継ぐのか、法的に明文化した状態で引き継ぐのかはとても重要な問題だと考えたからだ。
「口腔に関連する医業は歯科医業に含まれる」たったこの一文を歯科医師法に加えるだけで大きく状況は変わるのだ。削る詰める抜く被せるそして矯正、、、これが法的な歯科医業であるから、我々は日常で医師法違反を行っている。

ちなみに今回参考にさせて頂いた福岡の横田先生の論文は多くの人に読んでいただきたい。それだけではなく、その意見として山形の高木先生のご意見は非常に面白く、議員達もよく読んでみたいと非常に関心を持っていた。下記勝手に頂いた横田論文感想文的高木論文掲載(笑)



 歯科医の将来像  ―歯科と医科の境界線を考える―
歯科大学を卒業して、入局した口腔外科の主任教授は歯科医ではなく消化器外科を専門 にする医師だった。口腔がんの手術では、大胆な頸部郭清や上肢からの皮弁による再建手術 などをおこない、口蓋裂の患者へは腸骨移植して骨欠損部を閉鎖していた。昔耳鼻科医がよ くおこなっていた蓄膿症(慢性上顎洞炎)の根治手術が原因で多発した、術後性頬部(上顎) 嚢胞の摘出手術は多くの若い口腔外科医もおこなう手術のひとつだった。入局間もない新 米の口腔外科医の僕にとって、歯科の領域を大きく逸脱した口腔外科の臨床は興奮の日々 だった。

ある日、比較的大きな歯根嚢胞の症例を前に、教授は新米の僕に「嚢胞摘出後、この歯は 残せますか?」と聞いてきた。「歯の保存、抜歯の基準は歯科医師である君の方が判断でき るだろうから」とのことだった。歯科と医科の領域を強く意識した出来事だった。
口腔外科に在籍しているときには「全身管理ができる」ことは、どのような「メスさばき」 よりも重要であるといわれ、入院患者を担当させられて日々臨床検査値の意味するところ を勉強し、患者の静脈確保や点滴を訓練した。当時はガン末期の看取りも口腔外科でおこな うことも少なくなかったので、臨終間際の心マッサージや、家族への臨終の宣言の仕方など、 医局の先輩や同期のドクターといろいろディスカッションしたものだった。死亡診断書も 数通書いた。

それらは町医者になってからもバックグラウンドとしては大いに役に立ったが、実際に チェアサイドで「点滴をしますから」と患者に言っても「え?歯医者で・・・!医者でもな いのに」というようなリアクションがたびたびあり、やがて小手術の際にも点滴などはおこ なわなくなった。世間は、「歯医者」と「医者」をそのように大いに異なった目で見ている ようだ。
横田論文にもあるように、歯科医が歯の修復以外の医療の深い部分に立ち入ろうとする と、一般の人々や医師からは「歯医者ごときが・・・」という〝感情的′′な因子が先行して なかなかできないことが多い。しかし、観血的歯科治療をおこなう場合のみならず、歯周疾 患の予防的処置をおこなう際でも、全身疾患を把握し全身管理をおこなわなければならな い場合は多々ある。
国内最初の免許を持った歯科医師といわれる小幡英之助は、慶応大学で医学を学び、その 後米国人歯科医エリオットから西洋医学に基づいた歯科技術を学んで、明治 年医制公布 後、第 1 回目の医術開業試験に「歯科」として受験し合格した。医籍に登録されているの で、正しくは、最初に歯科を専攻にした医師であって、「歯科医師ではない」と、ウィキペディアに記されている。医科と歯科が区別されるようになったのは、高山紀斎が日本に最初 の歯科学校、高山歯科医学院を開設したことによるのではないかと個人的には考えている。
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もともとは、歯科は眼科や耳鼻科、皮膚科などと同じように医科の一分野であり、人とし ての生命体を診るという点では根本的には同じ範疇であると思うし、同じでなければなら ないはずだ。「歯科」というから、あの無機質的で硬い「歯」しかイメージできないのであ って、江戸時代までに使われていた「口中医」というように、口を診る医者としての立場を 確立しなければ、「削って、詰めて、抜いて、埋める」という時代から、「口腔の健康を守り、 維持する」という近未来的な歯科医療(「口腔医療」と呼びたい)の実現はあり得ないと思 うのだ。

横田論文が示すように、現代の医療において医業と歯科医業を分業にするのはナンセン スである。暴論と言われるかもしれないが、将来的には「歯科大学」や「歯学部」はすべて 廃校にし、歯科医師国家試験も廃止し、医師法一本に統合すべきだと思う。医学教育の中で 歯学をもっと濃密におこない、国家試験終了後研修医の時期に各人が将来の専門性を選択 する中で、外科や内科、耳鼻科や眼科を選ぶように、歯科を選択すればよいだけの話だ。

米国の best jobs のランキングでは、常に dentist は physician よりも上位にいる。現在 の日本においては、マスコミが「歯医者はコンビニより多い」と揶揄されたり、歯学生の多 くが「医学部に入れなかったから歯学部にきた・・・」みたいな卑屈な精神で歯学教育を受 けている。歯学部の偏差値は著しく低下し、収入も激減して疲弊しきった現代日本の歯科状 況を打破し、優秀な歯科専門医師(oral physician)を育て日本国民の真の口腔健康を得る ためにも、これは誰かに聞いてもらいたい話だと思い、読み返しもせずに書き綴った。
まずは、「歯科」という日本語を改めたいね・・・。
2019.5.12. 高木幸人


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