2月 22, 2022

ウクライナの悲劇が次の日本にならないように

1991年、ソ連邦は崩壊した。ソ連邦の一部であったウクライナは、独立を果たした。この時、ウクライナ領内には約1900発の核弾頭が取り残されていた。ウクライナは独立国として、この核弾頭保持の意向を表明した。だが、ロシアはもちろんのこと、米国、英国が核拡散防止の観点からこれに強く反対した。

ウクライナに対し、核不拡散条約(NPT)への加盟と、核兵器の撤去が求められた。その条件として、「領土保全、政治的独立」に対する安全保障を3か国(米、英、ロ)が提供することで合意された。
これが「ブタペスト覚書」(1994.12.5)である。

フランス、支那はこの趣旨に賛同し、別々の書面で同様にウクライナに安全保障を提供した。国連の常任理事国がこぞってウクライナに対し、核兵器の撤去を条件に安全保障を約束したわけである。

しかし、、、、

国連がウクライナの領土の一体性を保障したにもかかわらず、2014年3月、クリミア半島はロシアに併合された。一夜にして「ブタペスト覚書」は反故にされ、国連はウクライナの領土保全を守れなかった。
(JBpress)

ロシアや支那のように「力」を信望している国が大国である限り、「力(核)」のない外交など、無力だと言うことが実証されているクリミアの悲劇だと思う。ウクライナに関して、日本のお花畑諸君は何故沈黙するのか?答えは、普段の思考回路が自己矛盾だと気がついているからだ。日本が外交問題で常に無力なのは、何を隠そう自国で自国を守るカードを持ち合わせていないからに他ならない。早期改憲は本当の日本人の悲願だ。


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