月曜日, 11月 16, 2015

負の連鎖を断ち切る とは???

FBの追悼トリコロールにサヨクな批判が集まっている。いかにも自分は深く考えているんだという文面が至る所で乱舞している。そして彼らの共通した言い分が「違和感を覚える」で、時に「スパムで情報を盗まれる」まであり、いかにもという感じか。そして共通の「負の連鎖を断ち切る」事が眩しいくらいの自画自賛とともに、実はその思いの奴隷となっている。

では冷静に彼らの言い分を考えてみようと思ったが自己矛盾の連続でどうにも完結しない。結論からあえて言えば、有史以来の戦いの連続の悲劇の連続のその背景にある人のエゴの根本が、現代の価値観からして過去の人間は今よりその思考もエモーションも明らかに劣っているということに帰結する。
そうなのだろうか?無抵抗主義のガンジーでさえその自己矛盾を表に出して苦悩した。テレビで重宝される左傾化論説者は口を揃えて「話し合いの場を」と力説している。可能ならその圧倒的な貧富の差を解消するべきだと。

そうなのか?とっくにそれが可能なら搾取のない実に平和な世界がとうの昔にシステム化されているのでは?どこまでいっても絵空事の平和論が好きで好きでたまらないよう。
文化も言葉も宗教も気候も教育も幸福の価値観も何もかも違う世界を何故作ったのか一つの参考として旧約聖書を紐解いてみるといい。人が暮らすという事が戦いを必然とする大いなる矛盾に満ちていることの解決をかつて人類は経験をしていない。目先の幸福論で矛盾もなく解決できていないというわけだ。


テロルは今始まったことではないが、極悪非道な戦いの手段であろう。それを極悪非道と判断することに誰も否定はしない。しかしこれは自由主義社会の話であり彼らはジハードと呼んでいるではないか。話し合いの共通点は全くない事がお分かりか。
連鎖を断ち切る言い分から慮るに、誰かが死んでも身内の誰かがテロの餌食になっても無残に我が子が目の前で殺されようとも私は許すという思いもかけない思考回路にただただ驚く。そうならないようにしたくはないのだろうか?その手段としてあなた方は「話し合い」を選択するという事だろうから政治的な無力さを非難しているのだろうか。できるわけがない。

チェコの友人がいち早くトリコロール追悼アイコンを選択した。これとて彼の国の過去の歴史観から我々日本人とはそもそもの思いが違う。獲得した自由と平和を守るそもそもの気概が違うのである。
戦争は狂気であることを否定はしない。しかしそこに至るまでの経緯を否定する事はできない。かの社民党のお馬鹿さんが、話し合いで解決できる世界を作る事が政治の使命だと言った。端から聞けばなるほどと思う人も多いだろう。が、その為にどれだけの人間が犠牲になるのかという矛盾もまた有史以来の人類の歴史から学ぶ事ができる。さあどうする。世界は経験のない局面に来ているというが武器が進歩しただけで中身は何も変わってはいない。支那の崩壊が目前に迫ってきている中IMFの異常な判断の中第三勢力がその隙をついてきている事は間違いのない事実なのだ。築き上げた自由と誇りの為になら、単純と言われようがなんと言われようが、「そうなる事への抵抗」を忘れてはならないと思うのだが如何か。

多くの国を訪問して思うのだが、もしかするとこの自由に往来する状況はすでに限界なのかもしれないと感じる事がある。他国での日本に比べた圧倒的な不自由さは日本人にしかわからない。日本はディズニーランドと揶揄されても仕方ないほど美しくそして優れて便利だ。しかしこの先、それを守る為にかつてのような一定の制限が国家間にできてしまう事もまた避けて通れない歴史の事実でもある。

本当に単純かもしれないが、ワシは家族や身内を守る為に暴漢とは戦う選択をする事は間違いない。
フランスのみならずトルコやロシア機の犠牲になったそして紛争の絶えない国家に生まれ犠牲になった多くの方々に心から追悼の意を申し上げるのである。



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