火曜日, 5月 31, 2016

保育園建設反対という害を野放しにする政治

けんか上等、受けて立ちますよ、実名でね(笑)。

さてさて、、、、
全く意味が分からん。全く分からん。世田谷の保育園建設問題のような事例でもよく分かるように、この反対の人たちは、自分が幼小の時はなかったとでも言いたいのか。クソガキの時代はなかったとでも言いたいのか。。。。

ワシが中学時代から住んでいた街は、それはそれは子供が多かったため、日曜ともなるとありとあらゆる公園歩道空き地至る所から子供の歓声が聞こえていた。我が家の正面は幼稚園で子供達の歓声や鳴き声(泣き声)お遊戯会の練習合奏練習、それはそれは賑やかなものだったが、近所のご老人達は目を細めて「子供達の喧噪な喜怒哀楽の声を聞くと何か若返って嬉しいものだ」と言っていた。すばらしい。

それから20年ほどして一度かつての街を訪れたとき、かつての子供達が巣立ったのか、子供一人見かけることがなくなったこの街は何かゴーストタウンのような様相で、非常に寂しい感じと共に時代の流れを感じたものだ。死んだ街なのである。それが良いのか?

今でもワシは、子供達の歓声が遠くから聞こえてくると何か嬉しくなってくる。次の次代を担う大切な歓声なのだ。それを事もあろうか「うるさい、騒がしい、静かに暮らしたい」などと、大人としての自分勝手もこれほどまでにひどいのかと腹立たしく思えてくる。どう考えたって「あなたが先に死ぬのだよ」という神の声が聞こえないのだろうか。

こう言う自分勝手な言動は、確実に団塊の世代を核とした自己中に他ならないのだ。ふざけた文句をつけている方々をテレビで拝見して年齢的に「ああ、やっぱり」と思った。が、もっと問題なのは、そのことに萎縮する行政であり政治なのだ。「喝」を入れるべきはきゃつらなのではないか。傲慢かますなら「おまえらがどっか静かに全うできるところにいけ」でしょ。

まるで、自分は幼少時代がなく、あっても周囲には大人のように気を配り、静かにおとなしく隠れるように生きてきた、、、、、とでも言いたいのだろうか。人の順番と言うことを記憶していない認知症なのか?なら、話は別だが(笑)。
何処にどんな騒がしい保育園や幼稚園が出来ようが、前向きに議論して嬉しく迎えることの出来ない最低の大人だけには、今拒否されている子供達にはなって欲しくないと思うが、、無理だろうかなぁ。。だってそういういやな大人ばかり見てるからね。

兎に角、反対する「意味が分からん」!!ワシは子育て終わってるが、実に意味分からん。

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