5月 27, 2017

史疑徳川家康から読む現代世俗

かつて、明治時代に発行された所の「村岡素一郎」氏原書「史疑 徳川家康事蹟」の、昭和38年に出版された「榛葉英治(しんばえいじ)」氏現代語翻訳本を探していた。古書店で見つかった。この本はトンでも本でも何でも無く、わけあって(ここが核心)表舞台に出ることのない史実を無数の古文書から拾い上げ、気の遠くなる作業を経てかなり詳細に史実を解析し家康の謎に迫った素晴らしい本なのである。しかし、なぜか抹殺された。

300年近くにわたる安穏な社会を構築し得た家康とその周囲の本当の奇跡をたどるとき、これは我が現代社会に何かしらの利益になる事は間違いない。今風で言うと、武士道の元のリスク&システムマネージメント・・・かな。

第一章にて、、、、
歴史は繰り返して過去を再現する物である。我が国3000年の歴史上でその繰り返し点を発見し把握することが出来れば過去に鑑み現在に処し将来を察する上で大きな利益がある。(要約)
これ、素晴らしいと思ったわけです。で、

思うにおよそ300年ごとに政機転変し、「貴賤の階級」が顚倒することは歴史の自然法ではないのか。ただし我が国の皇室だけはこのような変革の外に超越して、永久不変、神聖にして犯すべからず。皇室の庇護の下にある公鄕階級についても同様。これは我が国体の尊厳が他国に比べて比類がないためである。(要約)

大東亜戦争敗戦後GHQの日本国民洗脳により、国体の尊厳は地に落ちたのかもしれない。戦争責任などと言う下世話な思考を国体に求めること自体、ワシは日本人として心が痛んできた。日本人の心の多くをむしばんできた左翼思考は、ありとあらゆる所に蔓延し、本来のパトリズム的心を蝕んで今に至っている。パトリとて差別だと騒ぐこと必至。

ワシが思うのは、この国体の尊厳を持ってしての埋没した史疑を含む歴史研究に意味があるということ。最近の「反対の反対は賛成なのだ」、、的バカボンパパ名言を思い出させる与野党の攻防は、もしかすると「常にお心で思うことは一つ、日本国民が平和に穏やかにそして幸せに暮らせるように祈り続ける」この陛下のお気持ちを少しでも察すれば、馬鹿の一つ覚えの反対の連呼よりも素晴らしい未来を構築する思いが、たとえば国会の中などに出てきても良さそうな物だけれど、いかんせん日本人ではない人方が大勢いらっしゃるおかげで、国体はもとより我国の行く末さえ適当になってきている

そもそもを考えるとき、この家康の史疑が何故生まれたのか、そして何故それを隠さねばならなかったのかを紐解くことで、今のどうでも良い政治の混乱がいかに稚拙なのかあぶり出されるという物ではないかな。。




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