10月 26, 2020

コロナ・・どこまで人はあぶり出されるか

 出張で東京に来た。週末だったので、ホコ天などはそれなりの賑わいに、「もやもや」しながらも少し安心したりした。しかし、名だたるテナントビル内は閉店や休業が目立ち、外とは比較できないほど人が少なかった。人と会うときは間合い(2m)を大切にし、お互いマスクで、ポケットには消毒用アルコールを常に忍ばせ、食事時も話もせずにかっ込んで、そそくさと店を出る。常宿のサービスも、様々な制約の中でやっとここまで回復しましたという感じだし、まだまだコロナ収束に向けて皆頑張らないといけないだろうなと思った。

青森県では弘前市でクラスターが発生。驚くほどの数の感染者が発表されるが、実は地方では
感染より風評がとても恐ろしい。第一号は八戸だった。考えられないほどのバッシングを浴び、最後には自死したという噂まで飛び出した。その後暫くして青森の医師が感染したときも「おまえさえいなければ」などと言う酷い落書きやありもしない悪質な噂で持ちきりになった。その頃弘前では、八戸や青森の人は来るんじゃないという張り紙が店舗に貼られ、子供達の部活の試合も青森からの参加は断られたり、もう田舎くささが蔓延していた矢先の、弘前のクラスター発生に、何か遠くから冷めた感じで見ている。要するに皆コロナに恐れおののいている自分を隠し人の所為にしたいだけなのだろう。正確に怖がることを避けているとしか思えない。

一連の出来事のポイントは、「他人への要求」という、自分のことは棚に上げておくという自己矛盾を隠そうとする左傾的思考回路に他ならない。飲食店の不備や客同士のいざこざを目の当たりにして見る店員は、来てくれて嬉しいけれど、だったら来なければ良いでしょという自虐であり、これもまた自虐哲学とした左傾的思考回路の特徴なのだ。選手感染で社長が辞任する阪神とか、謝罪してなんとか曖昧に事を済ませようと言う背景があるから、世の中ではみぎならえで、感染したのはおまえの所為だとばかりに相手を訴える愚行に走る。どこかで誰かが感染するリスクはゼロにはできなのだから、冷静に考えると全く意味のないこと。しかし、高ストレスの状況でまともな判断が出来ないで居るのだろう。そしてあげくは政府の所為なのである。誰かの責任と誰かに対する要求から、少しも未来は見えない。そう、リスクマネージメントの要、責任論ではなく原因論。

こういう状況の中で何をすればベストで、トライアンドエラーでも先を見据えて様々な試みを実現することはとても大切。なのに批判ばかりして前に進もうとしないごく一部の野党のような批判コアな人達が、状況をさらに悪くしていることは間違いないだろう。こんな時こそどう助け合って先に進んでいく方法を皆で考えるか等、当たり前のきれい事に聞こえるだろうが、それしかないのではないかな。人類はバイルスと伴に何十万年も生きてきたという事実を忘れちゃいけない。



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