6月 07, 2022

何もないけど掛け流しのお湯がある

 
かつては、けっこうな頻度で書き込んでいたこの日記だが、古くは2000年に遡るので、もう22年ともなると、そりゃ、書き込む数も減るだろうし、FBにちょっとした愚痴や報告も出来る物だから、余程のことがない限り本来のブログに戻れないわけで、そういえば自前ブログサーバーが支那の攻撃で吹っ飛んで、数年分がなくなったものだから、躍起になって探し出しテキストだけでも保存したけれど、もう、それを整理する気力もなくて、丁度そのあたりだったか、某有名書店からこのブログを本にしないかと誘いがあり、半身乗り出したけど、なぁんだ、けっこう自腹切るのねと言うことで、丁重にお断りしたのも、ついこの間のような気がして、そんなことを思い出しながら、八甲田山中の電波がない秘湯に一泊二日だけれど、こもった物だから、何もないからこそ随分大脳を使うのだなということで、この久し振りのブログに筆が動いたわけだが、音と言えば雨の音と掛け流しの温泉の音、テレビはとりあえずあるけれど、付けてみると今更ながら、特にこういう場所では騒音以外の何物でもなく、騒音ではない時は、何かの意志の押し売りであることに、今更ながらはっとしたわけで、本来人という物は、こういう所でしんと静まる瞬間を大切にしながら、明日のことを色々考え、そしてその考えは膨らみ、ある意味の夢となり、それが実を結ぶためには何が必要なんだろうと、実に当たり前の事が、随分長い間忘れ去られていたことに、こういう何もない瞬間にふと思い出し、而して並行しながら全く別のことを考える余裕もまた、掛け流しの部屋付きの湯船に浸かり、ああ、そういえば小説を、Hanadaをと本を取り出し、あれあれ、この湯船では読めないじゃないかと、ふらふらと湯あたりしながら、久し振りに面白い小説に舌鼓を打てるこの時間さえ、何かさっきまで忘れていた。

雨の音と掛け流しの音だけ

ちなみに、この「。」のない小説的文章に初めて出会ったのは意外と楽しかったのに、なんか心がすさんでいた予備校時代。なんという作者かすら忘れたが、こういう本を借りた東武東上線「ときわ台」の図書館は覚えている(笑)。

なんていうどうでも良い事まで、すーっと思い出す、このお湯の不思議さなのでした。繰り返すが、電波というネット環境がないという幸福もあることを理解してほしいと、アナログではなくデジタルネットに訴える私。。(笑笑)

気は触れてません(笑)

2 件のコメント:

人類の歴史と文明の変遷 さんのコメント...

熊、自然に帰る、だね。
たまには、自然の中で湯に浸かって、熊ちゃん自身も自然のパーツのひとつになりきってしまうことも大事だ。所詮人間なんて、地球という惑星の中に生かされているアミノ酸物質の塊のひとつにすぎない。できれば宇宙の生物のひとつとして、ちょっとした“うま味成分”として存在できたら幸せかもしれん。
近ごろは、妙にヘンテコリンに歪んでしまった人類が増えて、アミノ酸が“毒性変性したもの“を持った人類が増加した時代になってきたような気がする。生物の進化は、時に退化や遺伝のエラーを生じて変性を招くからね。
自然の中で、良い風呂に浸かり、良きアミノ酸を活性化させて心身をあっためてください。
高木@山形より

Unknown さんのコメント...

ありがとうございます。自然のパーツに戻る、、、アミノ酸物質の塊、、、、うまみ成分、、、、素晴らしいキーワード頂きます(笑)猿倉温泉超お勧めです(笑)