6月 14, 2022

薪ストーブの煙被害に関しての考察

その昔、私が小学生の頃、学校から帰ってくる道すがら、家々の煙突から漏れてくる煙は薪を焚く匂いがして、それに合わせ夕餉の支度だろうか、色々な美味しそうな匂いが道にあふれていた。当然腹が鳴る。と言うことは、私は薪の匂いがすると、穏やかな夕餉を連想して腹が鳴るのである。

都市部市街地での薪を炊いた煙が臭いとか、ぜんそくになるとか、まあ、昔に比べて圧倒的に人口密度が高いエリアで、この煙が「悪」になっているようだ。どの程度なんだろうとTwitterを覗いてみると、まあそれはそれは沢山あるが、その書き込みのヒステリックさが、何か「除夜の鐘が五月蠅い騒動」に似たロジックである。

人が沢山いるところに住まなければならない理由は多々あるだろうから、そんなところに住まなければ良い、、では問題は解決しない。そんなところで薪を焚くな、も薪を焚きたい人がいる限り無理な話、ではどうしたら解決するのかを地域住民で考えなければならないはずなのに、圧倒的にコミュニケーションが取れない昨今の近隣住民コミュニティにおいては、それ自体が大きな問題なはずで、そのはけ口がTwitter等のSNSになっていることが大きな問題ではなかろうか。こんなにいるんだよと覗いても、何処の誰が何処でどうなのと言うそもそもの解決策を見いだせず、罵詈雑言で終わっている。

話は変わるが、「アゴラ」でこの問題を提起した文章が載り、コメント欄が賑やかになった。私が書いたコメントに真っ向から否定する主(匿名)がいて、煙反対を書き殴っていた。賛成論者には「出た!論理のすり替え」とか「ストーブが売れなくなると困るひと」とかずいぶんなレッテル貼りをしていたが、私(実名)に対しても酷い反論を書き、あげくに「どんな奴か調べたら、おまえの医院のGoogle評価が酷い、先にこっちを何とかしたら?」など直接関係の無いどうでも良い事を書き殴っていた。
ここからは憶測だが、その数時間後、私の医院のGoogle評価に星1を付け、名前は「あおいそら」(ゲラゲラ)。とある方法で紐付け確認するとウチの患者ではあり得ないエリアのIPアドレス。「あなたはウチの患者ではありませんね、こういう嫌がらせは断固処置します」と返信したところ即座に消去された。
これが、こういう人達の本性なのである。ふと、れいわ新選組の山○太郎を思い出す。何故かしら。(笑)

薪の匂いが臭いと感じる人はその通りなのだろうし、炊いてる人はわからないだろうし、それ自体を「悪」とするには感情論が先走りしすぎて議論にならない。電気や石油に頼り切って僅か50年だ。この先の問題として大いに議論がほしいところです。
そういえば、原発もまた、似たようなロジックだ。

世の中、おのれのことはさておき、好きと嫌いだけで社会が構成され始めている危機感を皆持ってほしいものだが。。。
私は、かつての夕餉を思い出す薪の煙が、あちこちからたなびく環境に戻ると嬉しいのだが。それもまた夢のような話なのかもしれない。

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